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サーチ・コレクションと
英国アートシーンの現在


——SENSATION: Young British Artists from the Saatchi Collection」展開幕(1997)を機に
 

250年以上にわたる歴史を誇る、ロンドンの王立美術院(ロイヤル・アカデミー)で、

サーチ・コレクションによる「センセーション」展が開幕した。

話題の作品をひと目見んと人びとがつめかけ、たいへんな盛況だった。

人はそのなかに、現在の英国のアートシーンをどのように見るのだろうか?

若手アーティストたちの作品を集めたサーチ・コレクションと

英国のアートシーンの現在を総覧する。

 

*文中の太字は、サーチ・コレクションに作品が収蔵されていることが公になっている英国系作家。

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1997年秋、ロンドン——もしもあなたが2XXX年の未来に生きる考古学者で、歴史の彼方からこの一瞬を振り返っているとしたならば、なにがあなたの眼に浮かび上がってくるだろう? 誕生間もない労働党政権に寄せる人びとの期待や幻滅の言葉の渦? 悲劇映画さながらのダイアナ元皇太子妃の死とそれに続く国家的規模でのヒステリー反応? あるいは西暦2000年に向けて進行する首都圏再開発プランの数々かもしれないし、 連日新聞を賑わすポンド高と地価高騰のニュース、突然襲った株価暴落が引き起こすパニックの様相であるかもしれない。明日の行方を見据えることすら困難なこの時代にあって、不安感と混乱に苛まれながらも、この街はいま、漠然とした楽観主義(オプティミズム)に包まれ宙を浮遊している。そして、ビル・ゲイツがケンブリッジに乗り込み、「ロンドン・ファッション・ウィーク」が未曾有の拡大成長を記録したこの年、英国美術界もまた、ひとつの「頂点」を迎えたといえるかもしれない。ロイヤル・アカデミーで今秋開催された展覧会、「センセーション:サーチ・コレクション収蔵若手英国作家展」は、1980年代末より現在に至るYBA(yBa/young British artists)の歴史がある分岐点に達しつつあることを、良くも悪しくも人びとの記憶の中に刻みこむこととなった。*1     

 

 

「センセーション」展とふたつの印象

 

「精力的で独創的——国際的に美術界を驚愕させてきた英国系アーティストの若手世代、彼らの作品を概観(サーヴェイ)する初の決定的展覧会」*2——大々的な謳い文句を掲げて幕を開けたこの展覧会を巡り、テレビ局、新聞各紙は競うように特集を組み、おおかたのアート界内部からの痛烈な批判や無視を尻目に、会場前には連日長蛇の列ができる始末だ。この謳い文句、誇張が過ぎるにしても、そこに嘘があるわけではない。たとえこの「山場」が、実際のところ、幸か不幸か、ある一個人の所有する作品のごく一部を素材に、プライヴェートな組織団体によってもたらされた、としてもだ。内容の詳細はさておき、むしろ本展開催にあたってなにより印象深かった事柄がふたつある。なにか?

 

ひとつは、それがじつに時宜を得たイベントだったということ。急速に自己増殖を遂げてきた「YBAを取り巻く神話」が、アート界外部の一般メディアをも巻き込み沸点に達し、一種の社会現象として、(少なくとも英国内では)認知されるようになってきた、まさにその瞬間に同調する出来事だったということだ。ロンドン南東部にある空き倉庫を舞台に、当時まだ学生だったデミアン・ハーストが仲間たちとともに自主企画した「フリーズ(Freeze 凍結)」展(1988)から9年あまり——いまやYBA神話の第1章を飾る記念碑的瞬間とされているこの展覧会だが、当時いったい幾人の人間が今日のような事態を予測しえただろうか? この間に、ハーストは、国民的セレブリティとしての地位を築き、レイチエル・ホワイトリードは、ヴェネツィア・ビエンナーレにて英国館代表として出品し、ダグラス・ゴードンは、前出のふたりと並びターナー賞を受賞した。トレイシー・エミンは、酒や化粧品のCMガールとしてお茶の間のテレビ画面でも顔馴染みだし、先頃では、御大テイト・ギャラリーからして『ブリティッシュ・アート・ナウ:ユーザーズ・ガイド』なる本を刊行した。こうした状況のなか、巷の騒ぎを逆手にとる者、我関せずと距離を置く者、それぞれスタンスは異なれど、幾十人もの作家たちが国内外での展覧会に日々精を出している。が、結局のところだれがどんな良い仕事をしているのか? いま改めて、現在の英国美術のありさまを眺めてみることはできないだろうか。これが第一点。

 

もうひとつ、印象深かった事柄というのは、本展覧会を構成したコレクションを誇る「ある一個人」とは、英国随一の現代美術収集家チャールズ・サーチだったということ。このことは……じつは驚きではない。現在、国内外のアーティストによる作品約1500点を所有しているといわれるその驚異的購買力、ロンドン市内にあるほかのどんな現代美術を専門とした展示スペースよりもはるかに巨大な彼の私設ギャラリー——こうした物理的要因もさることながら、ことにYBAの歴史においてサーチの存在はけっして小さくない。*3 1992年にハースト作の「鮫」を展示したのを皮切りに、「ヤング・ ブリティッシュ・アーティスツ」と銘打ったシリーズ展を、以後、毎年開催してきたこの人物、「YBAのパトロン聖人」という異名を誇っているのも無理はない。しかし、サーチが買い上げ一般に公開することによって結果的にプロモートすることとなったYBAと現実のYBAはかならずしも合致しない。では両者のずれはどんなものか? コレクションが今日の英国美術の歩みにおいて占めてきた 位置を確認しつつ、現在の英国美術のありさまを振り返るという第一の課題に応えてみたい。

 

 

サーチ・コレクション成立の経緯

 

コレクター皆無の国として長く知られてきた英国。昨今のポップ・ミュージシャンのコレクション熱を除けば、英国を代表する広告代理店サーチ&サーチの創業者(1997年現在はM & Cサーチに移籍)はこの国随一の現代美術のコレクターといっても過言ではない。彼は買う。大量に買う。公の場にはほとんど顔も出さず作家と親交をもったりもしないが、ひっそりと——往々にして作家のスタジオから直接ひとまとめにディスカウント価格で——ひたすら買う。あまりにも膨大なコレクションに対面すると、そこにどんなテイストや主義が流れているのか、すでにほとんど理解不能だが、記録によると彼が初めて美術作品を購入したのは、会社創業と同年の1970年、「モノ」は、ソル・ルウィットのドローイングだった。その後は、妻君とともに、主としてアメリカのミニマル系作家(ドナルド・ジャッド、ロバート・ライマン、ダン・フレイヴィン、ブライス・マーデンら)を、80年代に入ってからは、ジュリアン・シュナーベル、ジグマール・ポルケ、チャールズ・レイ、ジェフ・クーンズ、ロバート・ゴーバーら、米独のスター作家を主眼に購入。さらに85年には、上述のギャラリーを開館し、以後それらの秘蔵品を公開してきた。ところが88年の離婚、翌年の株式暴落の影響もあってか、 以後、91年までかけて、それまでの収集品を大量売却してスキャンダルを巻き起こし、処分の対象となった作家のなかには抗議申し立てを行なった者も出た。時期を同じくして国内の若手作家による作品を収集の主軸とするようになってゆく。

 

ところで、それでは1990年代に入る以前はサーチはまったく国内作家を集めていなかったのかというとそうではなく、89年には、それらの作品を編纂・紹介した本も刊行している。R・B・キタイら1960年代ポップの巨匠から、ルシアン・フロイド、レオン・コソフなど具象の大御所をメインに、リチャード・ウィルソン、ポーラ・レゴら当時のYBAともいうべき作家もかなり含まれている。さらにトニー・クラッグ、リチャード・ディーコン、リチャ ード・ウェントワース、ジュリアン・オピーら、70年代後半から輩出する彫刻家たちの傑作も多く所有していた。ことにこの最後の面々による仕事は、彼のギャラリーで展示されたことはほとんどないとはいえ、その日常への視線や独特なユーモアの取り入れなどにおいて、後の世代の活躍に重要な影響を与えたといえる。この先輩世代の多くが、初期の関心事から離れ、むしろフォーマリズムの追求へと向かっていったなかで、一貫した活動姿勢で 現在も若手世代からとりわけ深く敬愛されているのは、ウェントワースとオピーのふたりだろう。マス生産された機能的物体のもつかたちと意味、近代社会を構成するさまざまな環境要素(規格化された街並み、道路、空港など、インダストリアル・エイジを象徴するインフラ設備)への鋭い洞察——こうした主題は、ありきたりな日常において均一的外観を乱す、気紛れでごく人間的な要素への着目(ウェントワース)、あるいはそうした物体や環境をあたかもコンピュータ・ゲームや幼児用玩具モデルの呈示する世界観を思わせる手法でシミュレートする行為(オピー)をとおして追求され、アートの領域を超え広く世界に接する大切さを後続の世代に伝え、彼らの表現の可能性を拡げる一助となった。

 

 

「リアル」で「センセーショナル」

 

さて、こうした歴史状況のもと「フリーズ」展以降乱出する新進作家とサーチの蜜月が始まるのだが、その収集は一個人的な嗜好の範疇を超えている(ベッドや家屋など、さまざまな空間の内部を型取り、ミニマルな言語を援用しつつもそこに私的/共同体的記憶の痕跡を託すホワイトリードの立体と、人間心理に潜む過剰な欲動や暴力への志向性をシミュレートするジェイク&ディノス・チャップマン兄弟の人体像を、同時に私的な愛慕から所有する個人が存在したら話は別だが)。*4 芽生えつつある文化の産物を集め展示すること自体への熱意を感じさせる。こうした現代美術への功労者ぶりはたしかに目を見張るべきものなのだが、彼のYBAコレクションとして公表された作品群を見渡していると、やはりそこにはなにか特殊な傾向が感じられてならない。要約すれば、「リアル」な作品、キャッチーで視覚的なインパクトが強くひと目で把握できるもの、そして往々にして「センセーショナル」な外観をもつものが目につく(1980年代的な企業のイメージ戦略プランを懐かしく思い起こさせるような、「効率のよい」外観ともいえる)。この典型の凡庸な一端は、ポール・フィネガン、ローラ・シンプソン、ヘイドリアン・ピゴット、一連の「人型/モノ系」サーチ・ スカルプター、ジェニー・サヴィル、マーカス・ハーヴェイら、巨大(人体)具象系ペインターであり、もう一方の良質な端の代表格は、もちろんハーストであり、さらにはチャップマン兄弟、象の排泄物を貼り付けたカラフルな平面を制作するクリス・オフィリ、慢性的なアルコール依存症を抱える父のもと失業保険で生計を立てる自身の家族を主題に、労働者階級の家庭における日常の悲喜劇をカメラにおさめるリチャード・ビリンガムらである。また、「女性性」というコードに塗り込められたイメージの裏をかき「バッド・ガール」の挑発的な態度を視覚化するサラ(セアラ)・ルーカス、卑近な人物を素材に日常的な瞬間を捕えながらそこにきわめて劇場的(シアトリカル)な演出を組み合わせたビデオや写真作品で知られるサム・テイラー=ウッド、通りすがりの人びとや自分自身の姿をドキュメンタリーの手法でホームビデオにおさめ、通常は社会的な制約のもと覆い隠され伝えられることの困難な人びとの私的な告白を暴き 出し、フィクションと現実の狭間を縫う仕事を展開するジリアン・ウェアリングら、近年の女性作家の活躍も、コレクションを通じてかなり辿ることができる。*5

 

「リアル」で「巨大」、ひと目で把握でき、スキャンダルも辞さないアート——こうして要約してみると、サ ーチのコレクションから浮かび上がってくるYB Aのイメージとは、「フリーズ(凍結)」展、ついでは「近代医学(モダン・メディスン)」「ギャンブラー」など、閉鎖された工場、ビルディング・ワンにおいて組織された一連の展覧会(1990、企画=カール・フリードマンほか)が輩出した、ハースト、ギャリー・ヒューム、アビゲイル・レーン、マイケル・ランディ、マット・コリショウ、アーニャ・ガラッチオら、いわゆる「ゴールドスミス世代」の作家の多くが押し出してきたイメージと奇妙に呼応する。フリードマン自身後に回想しているとおり、それは「現代美術のあるべき姿のシミュレーション」といった作品を主とし、「権力と成功がおそらくアートと同じくらい主題となっていた」展覧会の流れであり、アートを取り巻くシステムの中でアートがいかに機能するか、その価値操作をも視野においた動きであった。*6

 

 

同時多発現象としてのYBA

 

起業家精神に長け、反骨精神を誇り、重工業からサーヴィス・セクターへの基幹産業の推移に伴い、福祉大国から自由競争の資本主義社会へと移行していったサッチャー政権の申し子たち——いつの間にかこうしたイメージを定着させた「ゴールドスミス世代」の作家たちだが、これは的を射ていると同時にまた、一元的な見方を助長する作用も果たしてきた。*7 たとえば、彼らの出現と時期を同じくして、ゴードンやクリスティーン・ボーランドらスコットランド系の若手たちが、グラスゴーにあるアーティスト運営のスペースを拠点に活動を開始していたことも見過ごされがちだし、また「フリーズ(凍結)」展出品作家のなかにも、まったく系統の異なる作家(たとえばサイモン・パタソンなど)も含まれていた。さらには、洗濯機や便器をピンホールカメラに仕立て、外の空間を撮影した作品で知られるスティーヴン・ピピンのように、世代的に少し上であるため一匹狼的にみなされる作家も存在する。また、ことに彼らを取り巻く「スキャンダラスな」印象というのは、むしろハーストとその周辺の数名が徐々にエスカレートさせていったイメージに近かったといえるが、このイメージの普及に対し、意図的であろうとなかろうと、サーチが果たした役割は大きい。牛の死骸の頭部を置いたガラス張りの空間内に生きた蠅を放置し、それらの生きざま(あるいは青い光を放つ電灯に止まって死にゆくさま)を展示したハースト作品《一千年》(1990)を購入、ついで、「鮫」作品を発注・展示したのに合わせ、「YBA」シリーズ展を開始したのだから。

 

 

 

 

 

 

ポスト「フリーズ(凍結)」展世代

 

ところで、この一元的な見方がいよいよ矛盾を来してくるもうひとつの大きな理由は、この時期と相まって1992、93年頃から、前出のチャップマン・ブラザーズ、テイラー=ウッド、ウェアリングをはじめ、ひとつ下の世代の新しい作家たちがまたしても続出してきたという事情にも拠る。先述の世代が、死や生、愛といった大きな概念に大きなスケールで取り組んでいたのに対し、彼ら後続の世代のアーティストたちは、壮大だが空虚になりかねない概念に対してじつに懐疑的であり、コンセプトおよび素材や表現方法の両面において、より私的なアプローチを取っているものが多い。それは、「確実性、イデオロギー、あるいは理想主義といった観念を喪失してしまった世界——そんな世界が意味するものを捉えたいという欲求」*8を多くのものが共有する時代のアーティストたちであり、いわゆる絵画や彫刻といった媒体と並行して、ビデオ、フィルム、CGイメージ、写真、テープレコーダー、手紙やインストラクションなどのテキスト・メディアも多用する。インスピレーションのソースとして参照するものも、また表現し伝えようとする事柄も、狭義の「美術」という枠を超え、自己の主観的な意識に適った事柄であれば、なんであれ、採り上げることを辞さない。

 

そのなかでも年長格のギャヴィン・タークは、絶対的創造主としての個人の死を追求する。1993年作の《ポップ》では、セックス・ピストルズのメンバー、シド・ヴィシャスの扮装をしてウォーホル作の《エルヴィス》のポーズを取った自身の等身像をガラスケース内に陳列、ユース・カルチャー発祥地としての認識を築いた、「ポスト1960年代の英国」を象徴する偶像を取り上げ、反逆への憧憬とは急速な商業化による敗北と隣り合わせに在るという意識に迫る。彼の仕事とある意味で好対照を成すのがトレイシ−・エミンで、彼女自体が作品ともいうべき存在だ。自身の体験をダイレクトに作品化する。

 

私的な体験の導入という観点からは、ジョージナ・スターもまた興味深い活動を展開している。道端で拾った見知らぬ男性宛の手紙の束から端を発し、知人から又聞きしたその人物とおぼしき人びとに関するさまざまな逸話や、幾人もの占い師たちの力を借りて、彼の人格を再構成した作品などで出発、近年では子ども時代に観た古い映画を自身の記憶だけを頼りに再構築したビデオ・インスタレーションをはじめ、ことにポップ・カルチャーに言及した仕事を手がける。偶然の発見を制作の契機として取り上げるという姿勢は、アダム・チョツコにも共通する。たとえば《神様そっくり大会》は情報・物品交換用新聞に掲載した広告に寄せられた返答をベースにしており、「われこそは神そっくり」と信ずる匿名の人びとの写真を宗教画を思わせる手法で額縁に入れ呈示した。「神」というある種普遍的な概念もまた、あらゆる個人的な解釈のフィルターをとおしてしか最終的には把握されえないことを物語る。

 

ある社会や文化体系の内に潜在する集合的意識と私的な記憶の関係性への関心を追究するという点で、サイモン・パタソンとダグラス・ゴードンのふたりもむしろ、メンタリティのうえではこれら後続の世代に近しい。パタソンの場合一貫して追究されているのは、〈世界〉を構成する諸要素を分類——ひとつの知の体系へとまとめ上げる行為の過程——であり、たとえばロンドンの地下鉄マップのフォーマットを借用した作品では、聖人、哲学者、探検家からサッカー選手、コメディアンなどなど、さまざまな歴史上の人物の名前を実際の路線・駅名と差し替えることで、複数の別個独立した知識体系の軌道線が互いに交差し合うダイヤグラムを呈示した。〈世界〉の成り立ちを理解し意味あるものとして「科学的に」記述しようという試み自体、私/詩的な連想力の領域へと転移される。一方、ゴードンは、われわれが経験する事柄に意味を与えるものとはなんなのか、なぜ、またどのように、それらは 解釈され記憶されるのかという関心事を、あらゆるメディアを使って表現してきた。ヒッチコック監督の映画作品から音を奪いスローモーションで編集し直し全編を24時間かけ再生する《24時間サイコ》など、さまざまなソースから得た映像を操作し観客の心理作用へと働きかける。

 

われわれの心理的なメカニズムははたしていかに機能しているのかという関心はトマス・ギドリーの仕事にも共有される。精神分裂症患者の多くが自分の内部に存在し、ある種の電波を放って彼らの行動を制御していると信じるメカニカルな装置を描いた《僕の最初の感化機械》や、ギャラリー内の階段天井、容易には観客の目に留まらないであろうところに、小さな観覧車の模型を展示した《オールウェイズ・オン・マイ・マインド》など、科学的な測量に適った「真実らしさ」を感じさせる視覚言語を用いつつ、実際には客観的に推し量りきることの不可能な心理作用の不可思議さを表現する仕事を手がけている。観客個々人の心的空間を標準点に定め、彼らの想像力のはばたきに作品の解釈を委ねるという姿勢はシヴォーン・ハパスカの仕事にも見受けられる。近未来的なスピード感に溢れつつもどこか有機的なその彫刻は、テクノロジーの進化や社会的歴史の変遷がわれわれのもつ「移動」という概念に与える作用を振り返る契機を与え、異なる時空間を漂い旅する自由を観客それぞれの内的な意識の流れのただなかに見出させる。

 

映像を主として活動するジャキ・アーヴィンと夕シタ・ディーンも、「物語(ナラティヴ)」の要素を想像力の自在な展開を導く大切な鍵として取り入れる。アーヴィンの《星》は暗闇に揺れるシャンデリアのほのかな灯りを記憶のなかで半ば色あせディテールの喪失された古いTV映画の映像美を想わせる手法でスローに再生、叙情的なワルツと、バーで未知の人びとが交すやりとりを描写する語りを挿入し、彼らのコミュニケーションが展開、または頓挫し宙づりになるリズムを、言葉によって語られる物語と映像の眩惑的なずれによって浮かび上がらせる。ディーンの《海に消える》は航海中に発狂した男を巡る史実と事件に関する嘘とも真実ともつかないさまざまな逸話の双方を参照しつつ、夕暮れが暗闇に変わる頃、灯台の明りが変幻するさまを映し出す。「物語」の真実は、われわれの空想の領域にしか追跡われえない。

 

スティーヴ・マックィーンもまた、息をのむような映像美の構築によってスクリーン上に浮かび上がる人物たち、さらには彼らを見つめる観客との間に生じる力と欲望の絶妙な均衡の物語を多層的に織り上げる。ウィルソン・ツインズも同様に、暴力や戦慄などの心理状態をシネマトグラフの伝統にのっとった視覚言語を駆使して表現する。古い科学映画やホラー映画を参照しつつ、共同体的/個人的な心象風景を映し出すという主題は、スティーヴン・マーフィーによるコンピュータ操作された写真や映像作品でも追求される。SFファンタジーの示唆する世界観のように、操作された視覚情報が未来の行方を規定しつつ同時にわれわれの体験した過去を書き直しうる時代にあって、「真実の」自己を認識する拠りどころを主観の範疇へと導き出してゆく。

 

 

時代を表出させる欲求

 

さて、駆け足でこの世代の作家達の活動を紹介してきたが、グループとしてのレッテルを貼ることなく彼らの仕事を包括的に把握することは可能だろうか? ひとつの目安として以下の世代論の要点を引用しておく。

「アートのジャンルを分かつ任意のカテゴリー付けに制約されることを拒み、心理的な体験のあらゆる側面を作品に導入するアーティストの出現は、世界をいかに捉えてゆくか、まさにその認知の仕方自体の変化を示唆している。この世代のアーティストたち、彼らの視覚認識は、アートの形態にまつわる伝統のみならずレンズと(そこに捉えられる)ナラティヴの構造を通じて形づくられてきた。それはシニカルなジェネレーションではない。が、かといってひたすら無邪気でナイーヴというわけでもない。なにが喪失されてしまったのかということを鋭く意識し、書き留められるべき自分自身の体験を取り上げて、殺伐とした時代の惰性を相手取って進んでゆくさまざまなやり方を指し示す。政治的なストラクチャーによってというよりもむしろより強烈にマスをマーケットの主眼に据えたメディアの威力によって個別性という概念が加速度的に浸食されてゆくなか、物事の相違がだんだんと見極めがたいものとなってゆくなか、(中略) 私的なリアリティの最期の領分とは、イメージ、 名前、音そして『物語』の構成する多層的なマトリクスの内に見出される。個々人の記憶のなかに宿り、ひとつひとつの経験のうえに織り重ねられその経験のもつ意味を明らかにさせる、そんなマトリクスの内に――」。*9
ここに挙げた作家たちの仕事の多くは残念ながらサーチ・コレクションには収蔵されていない。そもそも個人の収集品なのだからなにも総括的でなければならないいわれはまったくないが、そのような作品群をしてある一時代に生み出されたアート全般を代弁するものとみなす必要もまた存在しない。結局のところ、われわれの生きているこの時代がどんなものであるか、どのようなアートをわれわれは自身の時代の文化として生み出し伝えてゆくのか、それ自体が個々人の選択に委ねられている問いだ。それでもなお多くのアーティストたちとサーチ氏が分かち合う意識があるとすれば、それは、文化とは育みつづけなければ容易に枯渇するという意識であり、われわれの時代を表出させてゆきたいという欲求であろう。

*1……

YBA (yBa)とは、本来は英国出身/在住の若手作家を総称する名称だが、1997年の現在は、1980年代末以降登場した国内作家を指し、さまざまな含みを持った固有名詞的略語となっている。

 

*2……

Sensation: Young British Artists from the Saatchi Collection, exh.cat., 1997, inside cover.

 

*3……

たとえば1987年から88年にかけての「ニューヨーク・アート・ナウ」展でネオ・ジオ系をはじめとするアメリカン・アートの最前線が紹介されていなかったとしたら、翌年以降続出するゴールドスミス・カレッジ出身の若手作家(ことに初期のハーストやヒューム)の作風はまったく異なるものとなっていたかもしれない。

 

*4……

彼らとサーチの関係を論じる前にまず断わっておかなければならないのは、サーチは所蔵作品の詳細、具体的な目録などを公開することをつねに拒否しており、したがって、一連の展覧会および1993年に出版された書籍『鮫に来襲された溶水:サーチ・コレクション収蔵 90年代の英国美術』をとおして正式に収蔵が公にされた作家60余名に限定して論じた。さらに、サーチはつねに作品の購入・売却をしつづけており、現時点でどの作品を保持しているのか正確なことはわからない。なお本稿執筆にあたって画廊や作家のいくつかを対象に行なった調査により、ハパスカの立体、ディーンの平面の所蔵も確認された。1997年11月現在、作品がコレクションに含まれていないことが確認された作家は以下のとおり。ゴードン、J&L・ウィルソン、ボーランド、マックィーン、アーヴィン、ギドリー、スター。

れない。

 

*5……

もちろんこうした傾向がすべてとはいえない。たとえば、フィオナ・ラエ、マーク・フランシス、ジェイソン・マーティンなど比較的オーソドックスな抽象画の仕事を一貫して突き進めている作家の作品も見受けられる。強いていえば、それらの平面の大半もスケールの巨大さという点で強いインパクトを維持する類のものではあるが。   
 

*6……

Carl Freedman, in Minky Manky, exh. cat., 1995, unpaginated.

 

*7……

この種のイメージ付けは現在YBA全体のイメージへと拡大している。

 

*8・9……

James Roberts, “Never Had It So Good...', in General Release: Young British Artists at Scuola di San Pasquale, Venice, exh. cat., 1995, British Council, p62.

   

  

  

 

 

 

Photo Captions……

 

 

デミアン・ハースト

生者の心における死の物理的不可能性

The Physical Impossibility of Death in the Mind of Someone Living

第1回「ヤング・ブリティッシュ・ アーティスツ」展(サーチ・ギャラリー)での

展示風景 1991 The Saatchi Collection, London.

 

Damien Hirst

I want to spend of my life everywhere, with everyone, one to one always, forever, now

1996, Booth-Clibborn Editions: London.

国内の各洋書店で入手可能

 

いわずと知れた英国現代美術界の寵児ハースト。縦ふたつ切りに切断した牛を溶水に浸した作品で知られる。その他、現代社会に見られる精神分裂症的兆候に言及した水玉や錠剤のペインティングなど、初期から現在までひきつづき制作されているシリーズも。1996年秋に刊行された画集は、これまでの活動の集大成ともいうべきもの、現代美術界随一のアイディア・マンとしての才能をフルに発揮、それ自体がアートワークといった出来映えだった。

 

 

週末になるとロイヤル・アカデミーの中庭には長蛇の列

 

 

「フリーズ(凍結)」展の会場風景から、ハーストとパタソンの作品 

 

 

リチャード・ウェントワース

エイド・メモワール 1992

Courtesy of Lisson Gallery, London. Photo by Mike Parsons

 

 

レイチェル・ホワイトリード

無題 (100のスペース)  1995

The Saatchi Collection, London.

 

 

ジュリアン・オピー

雨の降るのを想像しよう 1992

Courtesy of Lisson Gallery, London. Photo by Mike Parsons

 

 

ディノス&ジェイク・チャップマン

死に刃向かう大いなる死 1994

The Saatchi Collection, London.

 

 

マット・コリショウ

銃弾の穴 1988-93

The Saatchi Collection, London.

 

生々しい真っ赤な傷跡のクロースアップ写真、SM/拷問を思わせるボンデージ装束の女を壁一面に投射した《無題》 (1990、於:ビルディング・ワン)など、スキャンダラスなイメージを送り出していた初期のコリショウ。現在は、英国文化の歴史的文脈にみる寓話や逸話に言及しつつ、人工的な生や美を再構成する仕事を主とする。真空管内で窒息の間際にありながらさえずりつづける小鳥のイメージを球体のガラスの檻の中に投影した作品は、J.W ダービーによる英国美術史上の著名作品を参照した佳作。近作ではヴィクトリア調の民間伝承や妖精信仰、子ども向けの絵本などに言及。

 

 

ギャリー・ヒューム

上:……ドルフィン・ペインティング No.IV 1991

左……ヴィシャス 1994

Courtesy of White Cube, London.

 

病院や牢獄、学校など既存の建築に備わっていたドアを家庭用ペンキで塗りつぶし、ミニマルな記号的空間をつくりだしていたヒューム。 絵画という〈いま、ここ〉に位置する空間であると同時に、位相の異なる新たな場所へと連なる扉でもある平面を制作していたが、 現在ではそうした初期の作風から大幅に軌道転換を遂げ、大衆文化や私的な事項にソースを求めたフィギュラティヴな仕事へと移行している。カラフルでポップなイメージだが、 その表象する対象は往々にして両義的、 連想力をくすぐられる。 《ヴィシャス》は、「邪悪な」という意味をもつ語であるとともにまた、パンク・ロックのヒーロー、シド・ヴィシャスをも示唆する。

 

 

トレイシー・エミン

私がかつてベッドをともにした人びと 1963-95

The Saatchi Collection, London.

 

13歳の時にレイプされた体験、トルコ系移民を父にもち、いじめの対象となった子ども時代の記憶をはじめ、自身の(性的な)体験をもとに制作するエミン。写真は、キャンプ用テントの内部に彼女がかつてベッドをともにした人びと(性的な関係の相手のみでなく家族や友人なども含む)の名をアップリケで綴った作品。観客は、彼女の人生における私的な関係の残り香の漂うテント内に入ることで、自身の体験をも振り返ることができる。そのほか、日記の一部をピンク色のネオン・チューブで綴った作品やポップ以前のウォーホルを想わせる、繊細かつ艶っぽいドローイングなども。

 

 

ダグラス・ゴードン

10ms-1 1994

Courtesy of Lisson Gallery, London. Photo by John Riddy

 

作家自身がこれまでに出会った人びとの名前を回想し綴ったテキスト作品《名前のリスト》(1990)などで出発。 以来、われわれの記憶に蓄積された事柄と〈真実〉のずれ、 コミュニケーションの成立あるいは頓挫がもたらす心理的緊迫感などの関心事を、 写真、 絵画、 電話や手紙を通じてのインストラクション、ビデオなど、あらゆるメディアをとおして追求してきた。写真は、古い医療研究用アーカイヴ・フィルムをソースに、 第一次世界大戦で負傷し脚の不自由になった兵士が身を起こそうとして挫けるさまを記録した瞬間を速度を落として際限なくリピートしたビデオ・インスタレーション。

 

 

ギャヴィン・ターク

ポップ  1993

The Saatchi Collection, London.

 

 

ポール・フィネガン

無題 1995

Courtesy of Entwisle Gallery, London.

 

 

ジリアン・ウェアリング

10-16 1997

Courtesy of Interim Art, London.

 

 

アダム・チョツコ

神様そっくり大会  1992-93

The Saatchi Collection, London.

 

 

リチャード・ビリンガム

無題 1994

Courtesy of Anthony Reynolds Gallery, London.

 

 

スティーヴ・マックィーン

Bear(耐える/クマ/乱暴者 1996

© The Artist, Courtesy of Anthony Reynolds Gallery, London.

 

処女作《Bear(耐える/クマ/乱暴者》では、同性愛者間の艶っぽい駆け引きとも暴虐な征服欲の匂いを捲き散らす 「超=黒人男性」的な身振りともつかない視覚コードを絡め合わせた映像を呈示、それらに込められたイデオロギーを両義的なものに還元し、真実とイリュージョンとが戯れる空間をつくりだした。以後、寡作だが第一級のクォリティに支えられた映像作品を制作しつづけている。次作《5 Easy Pieces》でも、フィルムという動きと速度、リズムをもった メディアの特性をフルに駆使し、オプティカルな快楽をさらに追求。  

 

 

シヴォーン・ハパスカ

Far(彼方) 1994

 

ひとところに留まらず「移動」しつづける自由の悦びを呈示するハパスカ。超高速で疾走する近未来の乗り物がその運転手たる有機的な人体と融合したかのような不思議な物体。艶やかな輝きを放ち滑らかな流線型を描く美しいものだが、それだけではない。なかには、波の音や蒸気船の汽笛、ドップラー現象などのサウンドを伝えるスピーカーとしての機能を合わせもつもの、酸素吸入器付きの瀟洒なベッドとして使用されるべきものも。

Courtesy of Entwistle Gallery, London.

 

 

ジェーン&ルイーズ・ウィルソン 

クラウル・スペース(床を這う) 1995

観客を実験台に催眠術を施すテレビ番組を参照した《催眠暗示"505"》 (1993)などで出発。祭壇を思わせる階段状の土台に支えられたスクリーン上には、意識の彼方で互いの仕草をなぞり合う双子アーティスト本人たちが映し出されていた。《クラウル・スペース》では世紀末に建てられたウィーン市内の老朽化したホテルでLSDを服用し撮影を敢行、LSD実験を記録した科学フィルムやホラー映画を参照しつつ心理的な波長の貫く空間を築く。 近作《スタン・シティ》 (1997)では  識旧東独時代ベルリンに実在し、冷戦下での諜報活動の拠点となっていた廃ビルを舞台に、「認識と混乱、アドレナリンと解放の瞬間」(作家談)を捉える。

Courtesy of Lisson Gallery, London.

 

 

ドン・ブラウン&スティーヴン・マーフィー

ミサイル 1995

Courtesy of Lisson Gallery, London.

 

 

ジョージナ・スター

小さい惑星の訪問 (猫との会話)  1994-95

© The Artist, Courtesy of Anthony Reynolds Gallery, London.

     

 

トム・ギドリー

オールウェイズ・オン・マイ・マインド 1995

Courtesy of the artist

   

 

ジャキ・アーヴィン

スター 1994

映像作品よりスティル写真

Courtesy of the artist

 

 

タシタ・ディーン

海に消える (シネマスコープ)  1996

Courtesy of Frith Street Gallery

スティーヴン・ピピン

フラット・フィールド (調整中)  1993

Courtesy of the artist

 

 

サラ・ルーカス

いったいどこでケリがつくのか? 1994-95

Courtesy of Sadie Coles HQ, London.

 

初出=『美術手帖/BT』1998年2月号、美術出版社:東京

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