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​なぜ、今、西城秀樹か?

——モダンJ-POPのメガスター・ヴォーカリスト、
その抗いがたい誘惑

 

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All The Images © Estate of Hideki Saijo

多彩な伝説のヴォーカリスト


西城秀樹――日本のモダン・ポップ・ミュージックの歴史に輝く、伝説のヴォーカリスト。まるで稲妻のように聴き手の身体を貫き一瞬で痺れさせる、そのステージ上の存在感は、比類なきカリスマ性を誇る。ダイナミックなダンス・ムーヴ、オーディエンスを惹きつけ飛び火するエネルギー、そして何をおいても特筆すべきは、そのパワフルでソウルフルな歌声、豊かな音触と色彩が溢れプリズムのようにきらめく、奇蹟的なヴォーカルの魔力だ。この途方もない魔力を通じて、西城は、半世紀以上にわたって、実に大勢の人びとを魅了してきた。そう、事実、ヒデキの声は、信じがたいほど素晴らしい――誰も彼の代わりにはなれないし、彼ほどには「良くはない」。そこには、ゴージャスで眩(まばゆ)い、あでやかな艶(つや)、そして、ハスキーで官能的な揺らぎ(バイブレーション)と余韻のかすれ、その両者が共存している。その声は、喩えれば、フランスの甘いお菓子「ミルフィーユ」のように、何層にも音のレイヤーが深く重なっており、まるで「ひとりで成立する魔法のオーケストラ」のように、声、それ自体が、その内部で反響し共鳴している。そこには、センシュアルな響きの要素のすべてがあるが、決して「品」を失うことはなく、つねに洗練された優雅さと清廉さが漂う。松任谷由実はかつて、ヒデキの声を、「斜のかかった強い少年声というのか…」と形容し、その声が大好きなのだと語ったことがある。実に的を射た表現だ。私なら、ただこんなふうに言うだろう――彼の声は、圧倒的なまでに蠱惑的だ。あまりにも美味しくて(デリシャスで)、抗えない。幾度も、いつまでも、私はその声を貪り、味わい尽くしたくなってしまう、と。

ヒデキの力強くダイナミックな歌唱スタイルと、眩暈がするほど魅力的な声が合わされば、当然のごとく、無敵だった。奇蹟のようなロングトーンとヴィブラート、しっかりと安定し外れることのない音程は、とりわけ1970年代をとおして、1980年代末までのあいだ、彼がヴォーカリストとしての訓練とステージでの経験を重ねていくにつれ、年々、よりいっそう磨き上げられ、際立っていった。さらに、肺活量も大きく、アスリート並みに身体的にタフだったことも、歌手としての成功に大きなプラスとして働いていた。ステージやスタジアムで激しく踊ったり動いたりしていても、ヒデキの歌声は、シャウトでさえも決して音を外すことなく、非常に正確で、声量も破格だった。加えて、おそらく幼少期からのドラマーとしての経験から培われた、正確でダイナミックなビートとリズムを刻む、卓越したセンスと能力も持ち合わせていた。これらすべてを併せ持っていた彼は、疑いなく、日本のポピュラー・ミュージック史において一時代を代表する、驚異的なヴォーカリスト、異例の大スターだった。

Hideki Saijo,

“Lola” – Japanese Edition, 1974 & 1983. 「傷だらけのローラ」日本語版

Lyrics by Daisan Saito. Music by Koji Makaino.

NHK TV Live Performance, 1974.

From the DVD BOX SET “HIDEKI SAIJO: HIDEKI NHK COLLECTION”, NHK, 2016.

Live concert recording.

Live at Osaka Stadium, Osaka, 1983.

From the Album “BIG GAME ’83 HIDEKI FINAL IN STADIUM CONCERT”, 1983. Reissued by Sony Music Labels, 2023.

 

https://drive.google.com/file/d/1m5WvKOUfw9ycPD2zY4z8xVIdejhoeEwV/view?usp=drivesdk

https://youtu.be/VxAn2b4-guI?si=i5hktjyfDB4DBW3-

Hideki Saijo & New Japan Philharmonic,

“Lola” – French Edition, 1975/1978.  「傷だらけのローラ」フランス語版

Lyrics by J. Roval. Music by Koji Makaino.
Live concert recording.
From the Album “Hideki Sings Love: A Valentine Concert Special”, 1978.
Reissued by Sony Music Labels, 2022.

https://youtu.be/2bVYN8s26OU?si=p8rFN2g0GdIzy2xv
https://drive.google.com/file/d/12m2KyoSzaHQpgR6AEwEb79wcp7MJuAXe/view?usp=drivesdk

 

 

ヒデキの歌う音楽のレパートリーは、いわゆる「歌謡曲(ここでは、1988年にラジオ局「J-WAVE」によって、「J-Pop」と再ネーミングされる以前の日本のポピュラー・ミュージックのうち、歌を主軸にした楽曲一般に対する総称として、この言葉を使っている)」から、ハードロック、ポップ、バラード、ファンク、ディスコ、ジャズ、R&Bまで、幅広いジャンルにわたっていた。また、彼は、日本におけるシティポップとAOR(「アダルト・オリエンテッド・ロック」と「アルバム・オリエンテッド・ロック」の両者を指す)の先駆者のひとりとしても知られている。そしてもちろん、ヒデキは、「戦後日本に現れた最大の男性アイドル」としても、その名を馳せた。身長181cmの長身に、1970年代後半当時は体重わずか57kg前後という、美しくスレンダーな体型で、長くエレガントな手脚にハンサムな顔立ちまで、すべてを備え、圧倒的な人気とレコードの売り上げを誇っていた。日本のオリコンが集計したデータによると、1972年から2018年までの約半世紀にわたるキャリアのなかで、シングルは累計約1159万枚、アルバムは約170万枚を売り上げたと言われている。これらの数字は、ヒデキが呼び起こした絶大な人気と日本の音楽産業において彼が残した巨大な足跡を裏づけるものだ。しかも、この数字には、日本国外での売り上げ、そして、2019年から始まるCDの再発・増補改訂版のリリースや新たなコンピレーション発売による販売数は含まれていない。つまり、セールスの記録は、彼の死後の今なお、伸び続けている。その音楽は、日本国内だけでなく海外でも、世代を超えて響き、日本のポピュラー・ミュージックの歴史と現在において、彼の伝説的な地位を確固たるものとしている。

1972年のメジャー・デビュー以来、ヒデキは、数々のキャッチフレーズで称されてきた。「昭和歌謡界のスーパースター・アイドル」「アジアでもっともセクシーな男性」「日本で唯一のロック・ヴォーカリスト」「Jロックの先駆者」……。 2016年からいち早く、海外のオーディエンスに向けて日本のシティポップを紹介してきた、著名なアメリカ人DJ、ヴァン・ポーガムは、かつて、彼のことを、「日本のエルヴィス・プレスリー(“The Japanese Elvis Presley”)」とさえ呼んだ。このネーミングは、ほとんど完璧に、まさに核心を言い当てていた。けれども、それでもまだなお、何かが抜け落ちているように感じられ、不十分に思えた。なぜか? その理由は、思うに、ヒデキが日本の音楽と文化の風景の中で果たした役割が、プレスリーがアメリカや世界の文脈の中で果たした役割よりも、多様で複雑だったからだ。ヒデキは、歌手という存在がおよそ果たしうる、ありとあらゆる役割を、ひとときに演じた。キュートなアイドル歌手であり、ゴージャスなセックス・シンボルでもあり、爽やかで健康的、テレビ番組やコマーシャルを通じてあらゆる世代に愛される、理想的な国民的ヒーローとしても機能した一方で、同時にまた、日本の「多数派(メインストリーム)」の好むポップ・ミュージックであった歌謡曲の枠組みの中に――その「隠れ蓑」に仮託して――登場しながらも、とりわけ1970年代から80年代を通じて、旺盛なスタジオ・レコーディングとライヴ・コンサートでのパフォーマンスを通じて、数々の日本音楽史上初となる記録を打ち立てていった。つまりは、そうした偉業を成し遂げたポップ・シンガー、そして、ロック・ヴォーカリストのパイオニアとしての役割をも、果たしていたからだ。

もっと単純に言うと、ヒデキはまるで、二重、三重の人生を送っていたかのようだった。マス向けのテレビの歌謡番組の歌手として活躍する一方で、巨大な屋外スタジアムでのロック・コンサートや屋内の大ホールでのポップス・リサイタルのライヴ・パフォーマンスでは、世界最先鋭のロックとポップのヴォーカリストとして活動していた。実際、彼は、海外や国内のロックやポップスを聴いて吸収し学んだことを、いち早く自分の作品に取り入れ融合させるという点で、天才的な能力を発揮していた。シングルやスタジオ・アルバムには、彼のオリジナル曲がいくらでも含まれていたのにも関わらず、ライヴ・コンサートでは、ステージを充実したものにする、ほとんどただそのためだけに、ほかのミュージシャンの曲を、一種異様なほど大量にカバーしていた。シングル曲としてカバーすることもあった。とりわけ最初期から1980年代半ばまでは、他所に類を見ないほど、彼のコンサートの半分はカバー曲、残りの半分はオリジナル曲で、構成されていた。セットリストはつねに変化し、それぞれのコンサート・ツアーには特別な構成があり、毎回のツアーが、ユニークなものとしてつくりだされた。ヒデキは、いつも、自分の感性と意志で、何を、どう歌うかを選択し、曲ごとに、自由自在に、テンポや雰囲気も独自にアレンジしていた。そのセレクションはとても幅広く、クイーン、シカゴ、フォリナー、ジャーニー、ザ・ドアーズ、キング・クリムゾン、レインボー、リトル・リチャーズ、スティクス、キッスからワム!に、ジャズの名曲まで、多岐にわたっていた。

ヒデキは、マス向けのテレビに登場する歌手でありアイドルであると同時に、一度に1万5千〜3万人もの観客を惹きつけ沸かせることが可能なライヴ・ヴォーカリストでもあるという、その両面的な偏在性と多様性によって、ある種、きわめて「日本的な現象」を体現していたと言えるかもしれない。そうして彼は、とりわけ1970年代から80年代半ばまでの戦後日本の高度経済成長期における、若者文化と音楽を表象する「時代のアイコン」となっていった。

Hideki Saijo,

“Don’t Stop Me Now”, 1979.  

A Queen Cover.

From the Album “BIG GAME ‘79”, Live at Kourakuen Stadium, Tokyo, 1979.

Reissued by Sony Music Labels, 2023.

 

https://youtu.be/bjTBcQvKMyY?si=Tvzz30JY_HuH0bKb

https://drive.google.com/file/d/17Et2mS1jqs-iKfvq3h4Iqlc1_IMOhuPS/view?usp=drivesdk

 

Hideki Saijo,

“Epitaph” - Excerpt, 1979.

A King Crimson Cover.

From the Album “BIG GAME ‘79”, Live at Kourakuen Stadium, Tokyo, 1979.

https://youtu.be/eh60jVMe0LE?si=RqVi1zXanPN6_SsO

https://drive.google.com/file/d/1Mm-WUze6BOrKPWqnfKa9WFrbB9HlaCJF/view?usp=drivesdk

Hideki Saijo, “Ellie My Love”, 1979.

A Southern All Stars Cover.

From the Album “BIG GAME ‘79”, Live at Kourakuen Stadium, Tokyo, 1979.

 

https://youtu.be/uDR31OK0VbY?si=TsmdFRc-Ga81J0gS

https://drive.google.com/file/d/1klEqVtJ6XB4qgzcAGRy6wwSzVcJ-OHdf/view?usp=drivesdk

Hideki Saijo,

“Good Golly, Miss Molly”, 1973.

A Little Richards Cover.

From the Live Album “Hideki On Stage”, 1973.

Reissued by Sony Music Labels, 2021.

https://youtu.be/bNggg2V81WQ?si=5LcC3uHvsHomwyu9

https://drive.google.com/file/d/1klEqVtJ6XB4qgzcAGRy6wwSzVcJ-OHdf/view?usp=drivesdk

Hideki Saijo,

“Try A Little Tenderness", 1974.

A Tom Jones Cover.

From the Live Album “Hideki Recital: A Departure For New Love”, 1974.

Reissued by Sony Music Labels, 2021.

 

https://youtu.be/pLv8WMXmDxE?si=Fk38ngF26Ivcaise

https://drive.google.com/file/d/1XrSpASHts0u99qCTtIK5LnvB92SLrhfL/view?usp=drivesdk

幼少期、そしてスターダムへ


西城秀樹、本名・木本龍雄は、1955年4月13日、広島に生まれた。裕福な家庭の三人姉弟の末っ子として生まれ、父親はパチンコ店を経営する成功した実業家、母親は女性服やアクセサリーを販売する店舗などを営んでいた。ヒデキは腕白ないたずらっ子で、たとえばスーパーマンになりきって電車を止めようと線路に立ちはだかったりして、しばしば両親を心配させていた。父親はジャズを好む音楽愛好家で、ヒデキは幼い頃から、海外、特にイギリスやアメリカのジャズ、ポップ、ロックを聴き始め、9歳からは、近隣のジャズ・スクールに通い始める。10歳の頃になると、兄や友だちとロック・バンドを結成し、ドラムを叩き始めた。初期の音楽的影響を幾つか挙げると、エルヴィス・プレスリー、トム・ジョーンズ、ザ・ベンチャーズ、ザ・ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックス、ジミー・ペイジ、ジェフ・ベック、ジョー・コッカー、シカゴ、サンタナなどだった。1969年、14歳の頃までには、岩国にある米軍キャンプでも、時折、バンド演奏をするようになっていた。同じ頃、ウッドストック・フェスティヴァルのドキュメンタリー映画が日本でも劇場公開され、幾度も近所の映画館に通い、夢中になって見ていた。このように、当時の日本の一般的な水準よりも、遥かに恵まれて早熟な音楽体験を、非常に幼いうちから、重ねていた。

そうして16歳、高校1年生の時に、広島のライヴハウスでドラムを叩きながら歌っていたところを、東京からやってきた複数の芸能プロデューサーからスカウトを受けた。そのうちのひとりを選び、両親の反対にも関わらず、プロの歌手になると決意して、家出同然で単身上京。約5ヶ月間のハードなヴォイス・トレーニングと、ダンスや演技のレッスンを経て、17歳になる直前の1972年3月25日に、「ワイルドな17才」というキャッチコピーを引っ提げて、デビュー・シングル「恋する季節」をリリース。ナショナル・チャートの42位にランクインした。その後、1年弱のあいだは、シングルの売上げは伸び悩んでいたが、ステージ上のパフォーマンスに抜群な才能を発揮し、ティーンエイジャーの女の子たちから人気を集め始める。翌1973年には、4枚目のシングル「青春に賭けよう」が、スマッシュ・ヒットとなり、続く5枚目のシングル「情熱の嵐」で、初めてトップ10入りを果たす。以降、シングル曲は軒並みチャートの上位にランクインし、同年9月にリリースされた6枚目のシングル「ちぎれた愛」で初のナンバー・ワンに輝き、発売2週間で50万枚を売り上げ、当時の日本音楽史のセールス記録を塗り替えた。翌74年も、「薔薇の鎖」「激しい恋」とチャートの快進撃は続き、同年末、「傷だらけのローラ」の日本語版で、NHK紅白歌合戦に、トップバッターとして、初出場を果たす。この曲は、ヒデキの長いキャリアのなかでも、もっとも人気を博した代表曲のひとつとなった。作曲は、馬飼野康二。ドラマチックなメロディー・ラインが強い印象を残し、日本の歌謡曲に西洋のロックとポップスの要素を取り入れ融合させたという点で、実験精神に富んだ楽曲だった。これら一連のヒット曲を通じて、ヒデキは、「絶唱型」と呼ばれた初期の彼独自の歌唱スタイルを確立し、1973年、74年、76年と、3度、「日本レコード大賞歌唱賞」を受賞している。

Hideki Saijo,

“A CHAIN OF ROSES” , 1974. 「薔薇の鎖」

Lyrics by Takashi Taka. Music by Kunihiko Suzuki.

TBS TV Live Performance, 1974.

From the DVD BOX SET “HIDEKI SAIJO: THE 50 HIDEKI SAIJO song of memories”, TBS, 2022.

https://vt.tiktok.com/ZSjMFr3F5/

https://drive.google.com/file/d/19CGD3IkAJNPwzTcTRmgcjRnjTXJKTg4O/view?usp=drivesdk

 

 

Hideki Saijo,

“A TORRID LOVE” , 1974. 「激しい恋」

Lyrics by Kazumi Yasui. Music by Koji Makaino

TBS TV Live Performance, 1974.

From the DVD BOX SET “HIDEKI SAIJO: THE 50 HIDEKI SAIJO song of memories”, TBS, 2022.

https://vt.tiktok.com/ZSj6PTD9a/

https://drive.google.com/file/d/1ZrLpWYt6C0ZNCpHGxtlDiJhiKQbkFm7Z/view?usp=drivesdk

Hideki Saijo,

“HOW CAN I EXPRESS THE JOY OF THIS LOVE?” , 1975. 「この愛のときめき」

Lyrics by Kazumi Yasui. Music by Tachio Akano.

TBS TV Live Performance, 1975.

From the DVD BOX SET “HIDEKI SAIJO: THE 50 HIDEKI SAIJO song of memories”, TBS, 2022.

 

https://vt.tiktok.com/ZSjMFSwwg/

https://drive.google.com/file/d/1PA6FQrkvBUKC1gb4LZrTAeSuo4pvOn3K/view?usp=drivesdk

 

Hideki Saijo,

“LET'S TAKE ON THROUGH OUR YOUTH” , 1973/1976. 「青春に賭けよう」

Music by Kunihiko Suzukki.

TBS TV Live Performance.

https://youtu.be/mw6bCvha7xk?si=_6PoL6YQqPvlRGOl

1974年の紅白の舞台での「ローラ」は、ヒデキのテレビ番組でのパフォーマンスのなかでも、もっとも有名で忘れがたいもののひとつだ。もう一度、ここで、このパフォーマンスの記録映像を見てみよう。この曲とステージによって、ヒデキは初めて、歌謡曲の世界に、ハードロックやヘヴィメタル的な要素を取り入れたと言われている。また、日本で初めて、テレビのステージで、ヘッド・バンギングを披露し、スモークを導入した。翌1975年には、「ローラ」のフランス語版が、カナダ、フランス、スイスとそのほかのヨーロッパ諸国で発売され、ヒット・チャートに見事ランクインを果たす。このフランス語版も、日本語版とはまた違った、独特な美しさと魅力の溢れる一曲となっている。

Hideki Saijo,

“Lola” – Japanese Edition, 1974 & 1983. 「傷だらけのローラ」日本語版

Lyrics by Daisan Saito. Music by Koji Makaino.

NHK TV Live Performance, 1974.

From the DVD BOX SET “HIDEKI SAIJO: HIDEKI NHK COLLECTION”, NHK, 2016.

Live concert recording.

Live at Osaka Stadium, Osaka, 1983.

From the Album “BIG GAME ’83 HIDEKI FINAL IN STADIUM CONCERT”, 1983. Reissued by Sony Music Labels, 2023.

 

https://drive.google.com/file/d/1m5WvKOUfw9ycPD2zY4z8xVIdejhoeEwV/view?usp=drivesdk

https://youtu.be/VxAn2b4-guI?si=i5hktjyfDB4DBW3-

Hideki Saijo & New Japan Philharmonic,

“Lola” – French Edition, 1975/1978.  「傷だらけのローラ」フランス語版

Lyrics by J. Roval. Music by Koji Makaino.
Live concert recording.
From the Album “Hideki Sings Love: A Valentine Concert Special”, 1978.
Reissued by Sony Music Labels, 2022.

https://youtu.be/2bVYN8s26OU?si=p8rFN2g0GdIzy2xv
https://drive.google.com/file/d/12m2KyoSzaHQpgR6AEwEb79wcp7MJuAXe/view?usp=drivesdk

ヒット・チャートでの活躍に加え、1974年と75年は、ヒデキの初期の人気が、ひとつの頂点に達した時期でもあった。まず、日本を代表する映画会社、松竹により、ヒデキを主演とする映画が2本、制作された。ひとつは、マンガを映画化した74年の青春映画『愛と誠』、もうひとつは、ヒデキの全国縦断ツアーを撮影した75年のドキュメンタリー映画『ブロウ・アップ! ヒデキ』だ。加えて、同じく75年には、日本テレビ制作のドキュメンタリー特番『西城秀樹 日本縦断〜20歳の絶唱』が放映された。また、この頃から、ヒデキは、数々の日本音楽史上初となる事柄を成し遂げ、「時代の寵児」となっていく。

ヒデキは:

•    1973年、ロッド・スチュワートの東京公演で見た、軽量アルミ製マイクスタンドを使ったダイナミックなマイクスタンド・アクションを真似て、日本人歌手として初めてステージに取り入れた。

•    日本人のソロ・シンガーとして、初めて、スタジアム・コンサートを行い(大阪球場、1974-1983年、東京・後楽園球場、1978-1981年)、また、初めて、日本武道館(1975-1985年)のアリーナ・コンサートを行った。

•    日本人のミュージシャンとして、初めて、1975年の全国縦断の夏のツアーで、延べ15万人という観客動員を達成した。

•    日本人のミュージシャンとして、初めて、1975年、富士山麓で開催された野外ライヴ・コンサートで、3万〜4万人のオーディエンスの前でパフォーマンスを披露した(ウッドストックにインスパイアされ、日本のサマー・ロック・フェスティヴァルの原型となった)。

•    1974年、ファンに向かって、球場ライヴの最中に、彼がファンのみんなを認識して共鳴できるように、「何か光るもの」、懐中電灯を持ってきて振るよう、ラジオ番組で呼びかけて頼み実現させ、翌年の日本初となる「ペンライト」の発明と販売を促した。

•    日本人ミュージシャンとして、初めて、大掛かりな仕掛けと演出による野外ロック・コンサート・スペクタクルを構想し、実現させた。(実に危険なレベルの演出だった)。
 

  • 複数の工事現場用の巨大なクレーンを使用し、揺れる鳥や小さな鳥籠のようなゴンドラに乗ったり、風船から糸で吊るされたりして、高さ地上約30〜40メートルの空中で歌った。

 

  • スラスト型のステージ、動くオートバイのサイドカーやトラックの屋根を使ったステージなどでのパフォーマンスも披露。

 

  • スタジアムのグラウンドを何周も走り回り、観客に最大限近づくために、高いフェンスをよじ登ったりもした……。

ヒデキのスタジアム・コンサート製作費は、こうした大掛かりな仕掛けと、夥しい数の花火、風船、スタッフを導入したため、毎年のように、日本音楽史上最高額を更新したと報じられていた。例年、チケットやテレビ放映料の販売、企業からのスポンサードなどによる収益を超える支出の可能性をも厭わなかったと言われている。1978年に撮影された、スタジアム・ライヴのラストを飾ったナンバー「セイリング」、そして、ヒデキによる感動的なエンディング・スピーチの記録映像からもわかるように、ヒデキは、彼と観客、また観客同士の友情と連帯を信じ、「ヒデキ版ウッドストック」を実現していた。

 

さらには、1970年代後半以降、香港、シンガポール、フィリピン、中国などの東アジア諸国から、ハワイ、ブラジルまで、海外で大規模なコンサートを開催し、いち早く世界進出を果たした日本人ミュージシャンのパイオニアのひとりとして知られるようになった。


Hideki Saijo,

OPENING ACTS & “Fool For The City”, 1978.

A Foghat Cover.
From the Fuji TV Broadcasting Recording of “BIG GAME ’78”, Live at Kourakuen Stadium, Tokyo, 1978.

From the Album “BIG GAME ‘78”, Live at Kourakuen Stadium, Tokyo, 1978.

Reissued by Sony Music Labels, 2023.

 

https://youtu.be/flQIvztI_08?si=D0ATs2vileT-H_jh

https://drive.google.com/file/d/1CZg5HjF9TDquoZjwP24CB5NSEPQ5YbAu/view?usp=drivesdk

 


Hideki Saijo,

“Sailing” INCLUDING THE ENDING SPEECH & ACTS, 1978. – Excerpt.

A Rod Stewart Cover.
From the Fuji TV Broadcasting Recording of “BIG GAME ’78”, Live at Kourakuen Stadium, Tokyo, 1978.

From the Album “BIG GAME ‘78”, Live at Kourakuen Stadium, Tokyo, 1978.

Reissued by Sony Music Labels, 2023.

VIDEO WITH ENGLISH SUBTITLES FOR THE ARTIST’S ENDING SPEECH.

 

https://youtu.be/aR0A7-wM-P0?si=QVOX3KDUN58lsTk4

https://drive.google.com/file/d/1eB7Mt894XfxZes48mA3ObETMN2ChOKo3/view?usp=drivesdk

成熟期:少年から青年へ、そしてその先へ


1976年2月25日、シングル「君よ抱かれて熱くなれ」が発売された。これは、著名な作詞家の阿久悠と作曲家の三木たかしによる「西城秀樹を少年から青年へと成長させる」という、70年代後半の数年間に及んだプロジェクトから生まれた、最初の一曲だった。この曲は、まさに挑戦的で刺激的な曲になった。タイトルの中にも「抱かれて」という言葉が使われており、日本語では、女性が男性に「抱かれて」、男女が愛し合う可能性も示唆する表現となっていた。シングルの売り上げは好調だったが、当時のテレビやラジオの女性司会者たちは、曲のタイトルを口にするのを恥ずかしがりためらったというエピソードも報じられた。歌詞の一部を引用しよう。

 

  君は今ぼくの胸で蝶に変るよ
  蒼ざめたその羽を薔薇色に染め
  これがしあわせと泣きながら飛んで行ける

 

  唇は使えないよ ぼくがふさいだ
  ためらいの言葉など無駄になるから
  君は目をとじて美しく熱くなれよ

 

Hideki Saijo,

“Burn Up As I Embrace You”, 1976.

​「君よ抱かれて熱くなれ」

Lyrics by Yu Aku. Music by Takashi Miki.

TBS TV Live Performance, 1976.

From the DVD BOX SET “HIDEKI SAIJO: THE 50 HIDEKI SAIJO song of memories”, TBS, 2022.

VIDEO WITH JAPANESE & ENGLISH LYRICS SUBTITLES.

 

https://vt.tiktok.com/ZSj6PnQDr/

https://drive.google.com/file/d/1k-QzM08tU6PtOjBk0JpFAA0H_7IF9Fx0/view?usp=drivesdk

阿久悠、三木たかし、そしてヒデキ自身による「少年から青年へ」とヒデキを移行させるこのプロジェクトは、1976年のスタジオ・アルバム『若き獅子たち』、そして、翌77年の劇団四季とのミュージカル主演作品『わが青春の北壁』において頂点を迎えた。これらの経験と、当時のヒット曲の数々――1976年の「ジャガー」「若き獅子たち」「ラスト・シーン」、77年の「ブーメラン ストリート」「セクシーロックンローラー」「ボタンを外せ」、78年の「ブーツをぬいで朝食を」「あなたと愛のために」「炎」「ブルースカイ ブルー」など――を経て、ヒデキは歌手としてより成熟し、若い青年らしい、水も滴るような強いその色気は、加速的に増していった。

Hideki Saijo,

“Undo Your Buttons”, 1977.

「ボタンを外せ」

Lyrics by Yu Aku. Music by Takashi Miki.

NHK TV Live Performance, 1977.

From the DVD BOX SET “HIDEKI SAIJO: HIDEKI NHK COLLECTION”, NHK, 2016.

VIDEO WITH JAPANESE & ENGLISH LYRICS SUBTITLES.

 

https://vt.tiktok.com/ZSj6PcmG8/

https://vimeo.com/1025614183

https://drive.google.com/file/d/1DIIlWxhMhBtQnLTHDIbgQ3eqmtLuLvqF/view?usp=drivesdk

 

Hideki Saijo & New Japan Philharmonic,

“Breakfast, After Taking Off Our Boots”, 1978.

​「ブーツをぬいで朝食を」

Lyrics by Yu Aku. Music by Katsuo Omori.

From the CD & DVD Box Set “HIDEKI UNFORGETTABLE- HIDEKI SAIJO ALL TIME SINGLES SINCE1972”, Sony Music Labels, 2019.

From the Album “Hideki Sings Love: A Valentine Concert Special”, 1978.

Reissued by Sony Music Labels, 2022.

Studio & live concert recordings.

VIDEO WITH JAPANESE & ENGLISH LYRICS SUBTITLES.

 

https://vt.tiktok.com/ZSj6P4M3A/

https://vimeo.com/1025615735

https://drive.google.com/file/d/1cOjYYSufaPxvRUKgmaJS9s3Av53cq0m9/view?usp=drivesdk

Hideki Saijo, “Flame”, 1978.

​「炎」

Lyrics by Yu Aku. Music by Koji Makaino.

Fuji TV Live Performance, 1978.

From the DVD BOX SET “HIDEKI SAIJO IN YORU NO HIT STUDIO”, FUJI TV, SONY MUSIC DIRECT, 2020.

 

https://vt.tiktok.com/ZSj6PGSxw/

https://drive.google.com/file/d/1cOjYYSufaPxvRUKgmaJS9s3Av53cq0m9/view?usp=drivesdk

 

1970年代半ばに始まった、この加速された官能性と成熟は、ヒデキのスタジオ・アルバムのレコーディングやライヴ・コンサートでのパフォーマンスにも、顕著に現れ出ていった。実際、こうした成熟は、ある意味では、1980年代から90年代、2000年代、そして2010年代の亡くなる直前まで、ずっと持続していたと言える。ヒデキは、キャリアをとおして、つねに成長しつづけることができるタイプのミュージシャンだった。歳を重ねるごとに、少しずつ、より成熟した姿を見せていった。

 

彼の長いキャリアのさまざまな段階における、そうした成熟と変化の例を拾いつつ、幾つか、実際に楽曲を聴きながら、その歩みを辿ってみよう。

 

まず最初の2曲は、1978年のスタジオ・アルバム『ファーストフライト』に収録された、ヒデキ自身の作曲による「その愛は」と、当時、ヒデキのギターリストでバンドマスターだった芳野藤丸作曲による「愛のバラード」だ。これらの曲、そしてアルバム全体が、ヒデキが、事実、シティポップの先駆者のひとりであったことの証となっている。

Hideki Saijo,

“That Love Is”, 1978.​「「その愛は」

Lyrics by Yasuhito Miyashita. Music by Hideki Saijo.

From the Album “First Flight”, 1978.

Reissued by Sony Music Labels, 2022.

 

https://youtu.be/iMexn-yNbR0?si=IsatU8QK9shktOkc

https://drive.google.com/file/d/1Cylz5UgWtHo68oJN87Hsh4IWua_g6Xi4/view?usp=drivesdk

Hideki Saijo,

“Ballad of Love”, 1978. 「愛のバラード」

Lyrics by Eiji Takino. Music by Fujimaru Yoshino.

From the Album “First Flight”, 1978.

Reissued by Sony Music Labels, 2022.

 

https://youtu.be/5AT5aMr_H9E?si=KocGxf-CTd88Ys8y

https://drive.google.com/file/d/1j_hdHAHYPsabwLq7jtQBZOhnk8A_Oq8z/view?usp=drivesdk

続いて、1979年に発売されたシングル「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」。ヒデキの長いキャリアの中で最大のミリオンセラーとなった曲だ。ヒデキはヴィレッジ・ピープルのオリジナル曲を気に入り、日本語版では、青春讃歌となるようにつくることを決めた。その選択は正しく、この曲の空前の大ヒットによって、ヒデキは、文字どおり、老若男女問わず、すべての世代の人々に愛される、国民的ヒーローになることに成功した。

Hideki Saijo,

“YOUNG MAN (Y. M. C. A.)”, 1979.

A Village People Cover.

Live at the Kourakuen Stadium, Tokyo.

From the Live Album “BIG GAME ‘79”, 1979.

そして、1980年代の到来を飾る最初の2曲として、1981年のシングル「ジプシー」、そして1982年にリリースされたスタジオ・アルバム『CRYSTAL LOVE』に収録された「涙であなたがみえない」をセレクトした。いずれも、作詞は森雪之丞、作曲は鈴木キサブロー。ヒデキが、こうした女性の視点から歌い上げる曲にも、その歌唱力を発揮していた様子が堪能できる。前者は、80sらしいドラマチックさの溢れる楽曲、後者は、成熟しつづけたヒデキ一流の官能性が、とりわけよく伝わるナンバーだ。

Hideki Saijo,

“Gypsy”, 1981. 「ジプシー」

Lyrics by Yukinojo Mori. Music by Kisabuuro Suzuki.

From the CD & DVD Box Set “HIDEKI UNFORGETTABLE- HIDEKI SAIJO ALL TIME SINGLES SINCE1972”, Sony Music Labels, 2019.

 

https://youtu.be/4rwLRZ6tULc?si=GAmLBbmfM7z6HasQ

https://drive.google.com/file/d/1j_hdHAHYPsabwLq7jtQBZOhnk8A_Oq8z/view?usp=drivesdk

Hideki Saijo,

“I Can’t See You Through My Tears”, 1982.​「涙であなたがみえない」

Lyrics by Yukinojo Mori. Music by Kisaburo Suzuki.

From the Album “CRYSTAL LOVE”, 1982.

Reissued by Sony Music Labels, 2022.

 

https://youtu.be/8Bh192aFO0U?si=rZ1VLfxpCOLO-IOx                  

https://drive.google.com/file/d/1NFPay7NEw-4vrjTmMsLo_35TqUcEwxP6/view?usp=drivesdk

次は、1981年にリリースされたスタジオ・アルバム『HIDEKI SONG BOOK』から、川島英五作詞・作曲の「酒と泪と男と女」と、松本隆作曲、筒美京平作曲による桑名正博の曲「哀愁トゥナイト」。そして、1982年秋の武道館でのライヴ・コンサートを収録したアルバム『秋 ドラマチック』から、中島みゆき作詞・作曲の「時代」。いずれも、1970年代後半から80年代初頭、同時代の日本のフォーク/ニューミュージックをカバーしたものだが、非常に情熱的。まさしくドラマチックで、味わい深い。

Hideki Saijo,

"Alcoholic, Tears, Men & Women", 1981. 「酒と泪と男と女」

An Eigo Kawashima Cover.

From the Studio Album "HIDEKI SONG BOOK", 1981.

Hideki Saijo,

"Melancholy Tonight", 1981. 「哀愁トゥナイト」

A Masahiro Kuwana Cover.

Lyrics by Takashi Matsumoto. Music by Kyohei Tsutsumi.

From the Studio Album "HIDEKI SONG BOOK", 1981.

Hideki Saijo,

“Wheels of Time (Jidai)”, 1982.

​「時代」1982.

A Miyuki Nakajima Cover.

From the Live Album “Hideki Recital: Autumn Dramatic”, 1982.

​​​​​

続いては、1983年、最期のスタジアム・ライヴからのカバー2曲。1曲目の「ナイト・ゲーム」は、元レインボーのグラハム・ボネットの曲をスピード・アップさせたもので、シングルとしてもリリースされた。ヒデキは、この曲の日本語版の歌詞を百回以上も書き直させ、ハードロックの曲らしい響きで聴こえるようにと練り込んだ。2曲目の「Don't Stop That Crazy Rhythm」は、ラテン・ポップスとダンス・ミュージックの要素を取り入れ、当時、人気を博していた、イギリスのニューウェーヴ系のバンド、モダン・ロマンスのヒット曲のカバー。

Hideki Saijo,

“Night Games”, 1983.

A Graham Bonnet Cover. 「ナイト・ゲーム」

Live concert recording.

Live at Osaka Stadium, Osaka, 1983.

From the Album “BIG GAME ’83 HIDEKI FINAL IN STADIUM CONCERT”, 1983.

Reissued by Sony Music Labels, 2023.

https://youtu.be/_3jAp9VxTMs?si=L3hvajOWFh_yAWhA

https://drive.google.com/file/d/1Fpc96c67MbVfd2AS7jUm8tRBE3HIDEn9/view?usp=drivesdk

 

Hideki Saijo,

“Don’t Stop That Crazy Rhythm”, 1983.

A Modern Romance Cover.

Live at Osaka Stadium, Osaka, 1983.

From the Live Album “BIG GAME FINAL”, 1983.​​

次は、1984年のシングル曲「THROUGH THE NIGHT」。作詞・作曲は角松敏生。78年頃以降、80年代をとおして、ヒデキのスタジオ・アルバムには、「シティポップの金字塔」とも言うべき古典的名曲が多数連なるが、その代表的な一曲だ。

Hideki Saijo,

“THROUGH THE NIGHT”, 1984.

Lyrics & Music by Toshiki Kadomatsu.

Live concert recording.

From the Album “JUST RUN ’84”, 1984.

Reissued by Sony Music Labels, 2024.

 

https://youtu.be/wJ9CzdEuK0o?si=WDeR9U2crTpUef11

https://drive.google.com/file/d/1Fpc96c67MbVfd2AS7jUm8tRBE3HIDEn9/view?usp=drivesdk

 

同じ1984年のライヴから、ジョー・コッカーの不朽の名曲「YOU ARE SO BEAUTIFUL」のカバー。ゴージャス。

Hideki Saijo,

“You Are So Beautiful”, 1984.

A Joe Cocker Cover.

Live concert recording.

From the Album “JUST RUN ’84”, 1984.

Reissued by Sony Music Labels, 2024.

 

https://youtu.be/m91a44QTnAU?si=KBDnOaoPLVdxvgTJ

https://drive.google.com/file/d/1tSmIeALCPjfMvkhR3AQ6ZskKPt6s_xmb/view?usp=drivesdk

そして、こちらも1984年リリースのシングル曲で「抱きしめてジルバ - Careless Whisper - 」。世界的大ヒットとなったワム!のオリジナル曲のカバーだが、この日本語版では、歌詞も楽曲も大幅なアレンジが施されており、まるで独特なアンビエンス、ヒデキ流に言い表すと「匂い」が溢れ出ている。当時、アメリカ西海岸のラジオ局がこのヒデキ版を流し、現地のオーディエンスからも好評を博していたという。また、このヒデキ・バージョンを聴いたバリー・マニロウがヒデキの才能を高く評価し、後年の共同制作につながったエピソードは有名。

Hideki Saijo,

“Jitterbug with You – Careless Whisper -”, 1984.

A Wham! Cover.

From the CD & DVD Box Set “HIDEKI UNFORGETTABLE- HIDEKI SAIJO ALL TIME SINGLES SINCE1972”, Sony Music Labels, 2019.

 

https://youtu.be/6zMtNNncvcw?si=STnIGNq7MX8sc5ML

https://drive.google.com/file/d/1tSmIeALCPjfMvkhR3AQ6ZskKPt6s_xmb/view?usp=drivesdk

続いて、1985年リリースのスタジオ・アルバム『TWILIGHT MADE...HIDEKI』から「ワインカラーの衝撃」。そして、88年リリースのスタジオ・アルバム『33才』から「HOW CAN YOU SAY THAT IT'S OVER?」。いずれのアルバムも日本におけるAORとシティポップの金字塔となったとも言うべき名盤だが、2024年秋に発売されたソニー・ミュージックによる復刻盤には、この時期のライヴ音源を中心に、オリジナル盤には収録されていなかった大量の貴重なトラックが追加され、実に充実した増補盤となっている。

Hideki Saijo,

“The Shock of A Wine-Coloured Love”, 1985.

Lyrics by Akira Ohtsu Music by Mayumi.

From the Album “TWILIGHT MADE…HIDEKI”, 1985.

Live concert & studio recording.

Expanded & Reissued by Sony Music Labels, 2024.

VIDEO WITH JAPANESE & ENGLISH LYRICS SUBTITLES.

 

https://youtu.be/_swlX1BJkFg?si=V1-NIZFbXwW6u4fc

https://drive.google.com/file/d/1OdSP8vt2tRzg0JWPxtqt6fATHEgAlzax/view?usp=drivesdk

 

Hideki Saijo, 

“How Can You Say That It’s Over?”, 1988.

A The Temptations Cover.

From the Album “33 Years-Old”, 1988.

Japanese & English Editions.

Expanded & Reissued by Sony Music Labels, 2024.

VIDEO WITH JAPANESE & ENGLISH LYRICS SUBTITLES

 

https://youtu.be/AhXLv-5uGUk?si=ZgOO70Nic_YfFPSa

https://drive.google.com/file/d/1J2cU-Sbc9E_O_GVZuyc2vW4H4iwdBhzf/view?usp=drivesdk

そして、1989年リリースのスタジオ・アルバム『ゴールデン・イヤリング』からの1曲「すれ違い」。こちらもシティポップの名曲で、作曲は濱田金吾。

Hideki Saijo,

“Passing Each Other By”, 1989.​「すれ違い」

Lyrics by Kazuko Kobayashi. Music by Kingo Hamada.

From the Studio Album “Goolden Earrings”, 1989.

This song was written by another world-renowned City Pop composer, Kingo Hamada.

 

https://youtu.be/QsS6KVDLnCE?si=XuheFfL6lZ9C9pKx

https://drive.google.com/file/d/1UCDbbtTuQHs14DT2RcKwlZzwpYZFk-y_/view?usp=drivesdk

続いて、1998年にリリースされた、松任谷由実によるクラシック・タイトル「リフレインが叫んでる」のカバー。クールな仕上がりだ。

Hideki Saijo,

“Refrains Are Shouting”, 1998.「リフレインが叫んでる」

A Yumi Matsutoya Cover.

From “35th Anniversary Memorial Box HIDEKI Complete Singles 1972-1999”, 2007.

最後に、ヒデキの長いキャリアのなかでもとりわけ重要な曲を、もう2曲、紹介して結びたい。

 

1曲目は、2000年にリリースされた「時のきざはし」。

作曲は、LUNA SEAのヴォーカル、河村隆一。

ヒデキにふさわしいバラード曲をつくることを目指して実現された一曲だ。

河村は、幼い頃に聴いたヒデキの1978年のバラード曲をとても気に入っていたが、それを超える曲をつくりだそうと試みた。45歳を迎えた円熟期のヒデキにぴったりな、まさに壮麗で芸術的な作品となった。

Hideki Saijo,

“Stairs of Time”, 2000.​「時のきざはし」

Lyrics & Music by Ryuichi Kawamura.

From the Best Album “Future Songbook 1999-2007”, UNIVERSAL MUSIC JAPAN, 2007

 

https://youtu.be/SCgghft8ffI?si=6hOZ2W6cnmgJrzlr

https://drive.google.com/file/d/1YJ-qzdlLkQnqHNzz13MwElNMXqEeXqiQ/view?usp=drivesdk

そして最後の曲は、2007年の「傷だらけのローラ」、アコースティック・ライヴ・バージョンだ。

 

ヒデキは、2003年、48歳の時に、最初の脳梗塞の発作に見舞われた。その後、リハビリに励み、後遺症と闘いつづけていたが、2011年には、さらに深刻な脳梗塞を発症し、その後のリハビリの戦いは、より厳しいものとなっていった。2014年には、「多系統萎縮症」の診断も受ける。これらの病いのせいで、話したり身体を動かしたりすることに大きな困難が伴うようになっていったが、それでもヒデキは、亡くなる直前までステージに立ち、歌いつづけた。2018年5月16日、63歳で、急性心不全のため、横浜にて逝去した。

 

西城秀樹は、繊細で美しいものへの愛着で知られ、つねに快活で爽やか、心優しく謙虚な人柄と寛容な心の持ち主として、広く知られていた。この「ローラ」のアコースティック・ライヴ・バージョンは、人生、自然、そしてこの世界の中で私たちが出逢う、繊細で美しいものを愛した彼にとてもふさわしい、美の結晶のような一曲となっている。

 

大阪在住のライター、田中稲は、2024年春に、日本のメディアでヒデキについて執筆したさいに、「炎の具現化」「色気の大火事」といった比喩を用いて、ヒデキを表現していた。ウィットに富み、まさにそのとおりの名言だ。最後に、私からも、ひとこと付け加えたい。

 

このアコースティック・ライヴで、ヒデキは、懐かしく愛おしい「ローラ」を新たな形に昇華させ、音楽における純粋かつ至高の美をつくりだすことに成功している。このライヴ・バージョンは、ひとりのヴォーカリストとして、また、ミュージシャンとして、彼が生涯にわたって追求した音楽の美しさと成熟、そしてさらなる豊かさを求めて、それまでの自身を超えてつねに挑戦しつづけたその営為の、もっとも意義深い成果のひとつとなったと言えるだろう。

Hideki Saijo,

“Lola”, 2007.「傷だらけのローラ」

Lyrics by Daisan Saito; J. Roval. Music by Koji Makaino.

From Acoustic Live Concert Recording, 2007.

Recording: Courtesy of Ether.

https://youtu.be/EoaLC7VWMaI?si=MzcF-P_xoOH_20in

ソニー・ミュージックによる、西城秀樹のCDやDVDの復刻と新譜発売が現在進行形で続いているおかげで、私たちは、彼の歌声とライヴ・パフォーマンスの数々を、今も楽しむことができ、そして、これからも、彼の歌は、世界中の未来のリスナーのもとへと、届いていくだろう。願わくば、永遠に、限りなく。

◆本稿のもととなった英語版テキスト"WHY HIDEKI SAIJO NOW?: THE REAPPRAISAL OF THE MODERN J-POP MEGASTAR VOCALIST, OR “THE JAPANESE ELVIS PRESLEY”, AND HIS IRRESISTIBLE TEMPTATIONS"の執筆にあたり、海外在住の音楽ファンで、西城秀樹の音楽に初めて触れる読者のために、"HIDEKI SAIJO for BEGINNERS - ESSENTIAL HIDEKI"と題したプレイリストを作成しました。

日本語版と英語版のテキストの内容は、全体の7〜8割は同じ内容ですが、残りの2〜3割は、それぞれの想定されるコア読者層の性質に合わせて、異なる内容になっています。

英語版の中で紹介した楽曲については、以下の再生リストから、通しでご視聴いただけます。

ご関心のある方は、ごらんください。

WHY HIDEKI SAIJO NOW? ⭐️なぜ、今、西城秀樹か? ESSENTIAL HIDEKI

-  LEMONADE 888'S PLAYLIST 01

https://youtube.com/playlist?list=PL4HFH3_8BRjiJygAnMYdOlNDp5yi9LYb9&si=bRgnLGr1IVo6XdQr

◆西城秀樹についての情報と、CD・DVDの購入についての詳細は、以下のリンクを参照ください。

https://www.110107.com/s/oto/artist/80007275?ima=5245

ERI MAENAMI is a writer and editor based in Tokyo.

Her areas of interest include modern and contemporary art, music, culture, sexuality and creative writing.

https://www.sensibilities-eri-maenami.com

2024年6月執筆、11月改訂。

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