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ロンドンのコンテンポラリー・アート雑誌『frieze』
HQ訪問インタビュー:


——創刊からこれまでの5年間と
  
1990年代のブリティッシュ・アートシーン
       ——YBA 論その4

 

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ロンドンに本拠をおき、ニューヨークとベルリンに支局をもつ、コンテンポラリー・アート&カルチャー誌『フリーズ』。

オーナーのマシュー・スロトヴァーが21才の若さで友人のトム・ギドリーとともに創刊準備号(パイロット・イッシュー)を発刊したのは、1991年の夏。

それから5年、雑誌は質・量ともに充実を重ね、先月発売された最新号は記念すべき30号となった。

現在のスタッフも多彩な顔触れだ。

前出のトムはアーティストでアート・ディレクター/デザイナー、営業担当のアマンダ・シャープは映像作家、ニューヨーク駐在のU.S.エディター、コリア・ショアはアーティスト兼ライター、レヴュー欄担当エディターのジェイムズ・ロバーツはフリーランス・キュレーター兼ライター。

各々のスペシャリティーと個性の違いが一冊の雑誌に多面的な方向性を与え、特有の「フリーズ色」を放っているようだが、実際の現場はどのようになっているのか。

今回、ロンドンのオフィスを訪ね、直接いろいろと語ってもらう機会を得た。

 

 

 

——創刊当初抱いていた基本的な雑誌の方向性は、どんなものでしたか?

 

マシュー・スロトヴァー 

「論旨のはっきりした、わかりやすいアナリティカルなテキストを載せるってこと。それに、モダンだけどすっきりしていて、誌面で取り上げるアートワークの邪魔にならないデザインを合わせたかった。内容の面では、当初から、アーティスト何人かをその都度取り上げ、彼らに『frieze』のためのプロジェクト・ページを制作してもらう企画もやってきた。ライターの手による批評やテキストだけじゃなくね。

(*注……

これまで登場したのはルネ・グリーン、キャサリン・オピー、スタン・ダグラス、ダグラス・ゴードン、サイモン・パタソン、レイモンド・ペティボンなどなど。次号では映画監督のジョン・ウォータースが登場の予定)。

言葉やコンセプトのフィルターをとおさず、直(じか)にアートに触れることも大事だし、読者に他では見つけられない何かを提供していきたかった。こういう基本姿勢は今でも変わってないよ。

 

——表紙に「Contemporary Art & Culture」とサブタイトルを沿えてますね。

 

スロトヴァー

「いわゆる"non-art"の記事も雑誌の重要な一角になっているからね。

なんでアート以外のフィールドも取り上げるかっていうと、半分は僕たちの読みたいようなカルチュラルな記事を他に誰も掲載してないっていう単純な不満から、もう半分はアートをきちんとその文脈で捉えたいっていう欲求からやってる。

コンテンポラリー・アートって本当は、ぜんぜんミステリアスなものでもなんでもない。 フィルムや文学や演劇と同じひとつのアート・フォームだ。

アートって、往々にして、それら、他の分野の活動から切り離せないものだしね。

自分の視野を狭めて、一方的に、ギャラリーやアーティストに、アートの外の世界で他にどんな面白いことが起こってるのか決めてもらう必要はないだろう?

まあ、こうした企画自体は、べつだん、僕たちが初めてやりだしたわけじゃないよ。『Parkett』でも、アート以外の記事を載せてたし『Artforum』もずっとアーティスト・プロジェクトをやってきていたしね。

創刊時の『frieze』にそれまで他誌ではまったく見られなかった要素があったとすれば、それは、新しい世代のブリティッシュ・アートを紹介したってことだ。当時、堰を切ったように続々と出てきたグラスゴーやゴールドスミス(*注:後者はロンドン大学の一カレッジ)出身の若い作家を見ていて、何かすごくエキサイティングなことが起こり始めてるって感じていたんだけれど、まだどんな雑誌も、この動きを真剣に捉えてなかった。そんな理由で、創刊準備号ではデミアン・ハーストをカバーにして、彼の初めてのインタビューを載せ、まだ無名だったアンガス・フェアハーストのプロジェクトを企画し、ブリティッシュ・アートに起こりつつある新しいインターナショナリズムを巡る討論を載せた。

 

——その討論記事は象徴的ですね。というのも、ここ数年、世界各地の美術館やコマーシャル・ギャラリー(商業画廊)で、1980年代末以降の "Young British Artists" の動きを振り返る展覧会がブームのように頻発するなかで、何か躍起になってステレオティピカルな「英国らしさ」を、無理に押し付けようとしている感がある。

(*注……

具体的には、ロンドンのサーチ・ギャラリーで開催されていた「Young British Artists」展シリーズ、そしてとりわけ以下のふたつの展覧会、前者はカタログ、後者は予告された企画主旨を当時見て感じた印象だった。

1995〜96年に、アメリカのミネアポリスにあるウォーカー・アート・センターで開催され、96年にヒューストン現代美術館に巡回した、「’Brilliant!’: New Art from London」展[企画=リチャード・フロッド、出品=Henry Bond, Glenn Brown, Dinos Chapman, Jake Chapman, Adam Chodzko, Mat Collishaw, Tracey Emin, Angus Fairhurst, Anya Gallaccio, Liam Gillick, Damien Hirst, Gary Hume, Michael Landy, Abigail Lane, Sarah Lucas, Chris Ofili, Steven Pippin, Alessandro Raho, Georgina Starr, Sam Taylor-Wood, Gillian Wearing, Rachel Whiteread.]

1996〜97年に、パリ市近代美術館ほかで開催され、97年にリスボンに巡回した「Life/Live: la scène artistique au Royaume-Uni en 1996 de Nouvelles aventures "」展[企画=ハンス・ウルリッヒ・オブリスト、出品=Angela Bulloch, Jake & Dinos Chapman, Mat Collishaw, Douglas Gordon, Mona Hatoum, John Latham, Steve McQueen, Sam Taylor Wood, Gillian Wearing, Cerith Wyn Evans, Leigh Bowery, Gilbert & George, Liam Gillick, Damien Hirst, Sarah Lucas, Richard Wentworthほか])

実際、これだけ多くの才能がこの数年輩出されたいちばんの要因は、国の境を越え、より広い世界観をもって活動していくための社会的・精神的土壌が、長年かけて、英国で育まれてきたせいだと思うんです。

 

スロトヴァー

「創刊準備号のあと、もっとインターナショナルな雑誌にしていかなきゃと気づいて、1号以降は、記事の大半は、英国外のものを扱ってる。もちろん国内の動向に関しても依然として、他のどの雑誌より着実に現実を追っているつもりだけど。傾向として、現在もまだ、いわゆるアート界自体、西洋の数都市を中心に動いているけれど、アフリカ、アジア、南米に関する記事も少しずつ増やしてきたし、作品やアイディアが編集方針に見合うものであれば取り上げ、 今後、さらに充実させていきたいと思ってる。今年は初めて本も一冊出したけど、来年に向けてさらに何冊か出版を予定してるしね。

 

 ——(ジェイムズ・ロバーツに向かって) あなたがレヴュー欄のエディティングを担当するようになったのは、昨年からですね。でも、ライターとしては以前から、そして今も、『frieze』に寄稿している。そもそもどういう経緯で、雑誌に関わるようになったのですか?

 

ジェイムズ・ロバーツ

「第3号に載ったリチャード・ウエントワースの記事が最初かな。長いこと適切な評価を受けず無視されていたアーティストだけれど、ジュリアン・オピーや今の若い世代の作家たち、それに、広告やグラフィックの人間にまで、「影の父親」的存在として、強い影響を与えてきた人だ。 ちょうど名古屋で彼の展覧会をキュレーションした直後で、彼が僕に『frieze』に書くよう勧めてくれたんだ。当時はまだ他の雑誌は1980年代の枠組みにどっぷりつかっていて、アートの新しい動きに対応できていなかった。それで『frieze』に定期的に書くようになった。 他にチョイスがなかったんだ (笑)。

 

——最後に、雑誌の話から離れて、ここ数年、英国の動きを間近で見てきたアート・クリティックとしてのあなたに聞きたいのですが、現在の”YBAs (Young British Artists)”に対するブームをどう捉えていますか?

 

ロバーツ

「80年代末から90年代の始め頃までの英国では、それぞれ別の関心事をもって、 同じ 「若手」とはいっても、別のジェネレーションに属している作家のグループが多数あった。20代前半の頃って、学校をいつ卒業したか、ほんの2、3年の差で、ものすごく大きな違いになりうる。1988年から、ハーストやカール・フリードマン (フリーランス・キュレイター)たち、学校を出たか出ないかっていうくらい若くして、無名の作家やその周辺にいる人間たちが、「フリーズ(凍結 Freeze)」展 や「近代医学(Modern Medicine)」展のような展覧会を自主的にやりだしたとき、たしかにアート界は騒然としたけれど、その煽り立てられ方っていうのはすごく「80年代然」としていた。実際、その時期に現れた最初の世代の作家たちの活動は、80年代の(アメリカ発アート動向)ネオ・ジオの成功パターンの寄せ集め——「ビッグなアートに、ビッグなスポンサー、ビッグな展覧会」みたいに感じられた。 作家としての野心とか活動の仕方とか、いろいろな面から見て、彼らの多くは、典型的なほど、いわゆる「サッチャー世代」という印象を与えていた。

でも、この時期、ハー スト、フェアハースト、マット・コリショウといった、第一世代のアーティストたちにフォーカスを当てる助けとなったのは、コマーシャル・ギャラリーでは、カーステン・シューベルトというところだけだった。それよりあとに出てきたもう少し若い世代に関して言えば、ロンドンの大きな画廊は彼らへの対応が本当に遅くて、この世代をサポートする機をみすみす逃してきた。正式に画廊からリプレゼンテーションを受けているのはダグラス・ゴードンとサイモン・パタソンくらいで、それだってやっと昨年になってからのことだ。ジェイ・ジョプリンのホワイトキューブを除けばね。

そんなわけで今のいちばん若い世代の作家たちは、ビッグなスポンサーやコマーシャル・ギャラリーは頼りにならない、自分でもっとやっていかなきゃっていう雰囲気の中で活動してきている。

僕個人としては、結局、そういう意識のほうが健全なものだし、一世代前の「スーパースター」的作家より、彼らのほうが興味深い仕事をしているものが多くいると思う。インターナショナルな視点から言っても、80年代にアートの中心だとされていたニューヨークやケルンは、どんどん「一地方化」していっているにもかかわらず、相変わらず、(多くの画廊勢は)旧時代的なメンタリティーに囚われたままだった。ロンドンには独自のアート、音楽、クラブ、ファッションが互いにリンクしたシーンがあるんだし、よそばっかり見てても何にもならない。

今じゃ”YBA”の大半は、30 代になりつつある。初期の作品の中に見られた可能性の充実をはかり、真撃な活動を持続させていけるか、これからが正念場だ。その意味では今まで以上に面白い時代になるだろう。

同様に、ドイツ、オーストリア、それからこのふたつほど顕著ではないけれど、アメリカでも、若手の面白いアーティストが出始めてきている。これはポジティブなことで、ライター やキュレイターは個々の作品を、世代的コンテキストの中で捉えていく必要があるだろう。「’Brilliant!’」や「Life/Live」といった一連の”YBA”の展覧会が踏襲してきたような、疲弊しきった国別の文脈ではなくてね。そういうアプローチを続けるかぎり、結局は、アートのマーケティングのための「やらせ」 的なブームを生むだけで、実際に、アートワーク自体の隠れた本質に対して新しい視点を与えていくことは不可能だからね。

(*注……

いわゆる”YBA”周辺の動向を紹介する展覧会としては、英国内では、ロンドンのサーチ・アート・ギャリーで1992年に始まった一連の「Young British Artists」展シリーズ、そして、毎年のテイト・ギャラリーによる「ターナー賞展」、5年に1度の英国アーツ・カウンシルによる国内巡回展シリーズ「British Art Show」などが、重要な役割を果たしていた。

ちなみにこれら以外に、初めてロンドンで、いわゆる「YBA」と呼ばれた一群のアーティストたちやその周辺にいたアーティストたちを包括的にサーベイ紹介したのは、1996年に開幕し、後年ニューヨークなどにも巡回した「Sensation: Young British Artists from the Saatchi Collection」展であるが、サブタイトルの示すとおり、ひとりのプライベートな

コレクターの収集品からセレクトされており、1990年代を代表する英国出身/在住のアーティストで、出品作家に含まれていない作家も多数存在した展覧会だった。)

初出=『TIG Newsletter #7』1996年、Taka Ishii Gallery:東京

この当時の録音か英文のトランスクリプションをちゃんと保管しておかず消えてしまったことがとても悔やまれる。英文でも、この時代のフリーズ編集部のインタビュー記事は、貴重な記録となっただろうに。

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