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シヴォーン・ハパスカ


——ザット・ペトロール・エモーション:
   
あのガソリンの感情が……


ジェイムズ・ロバーツ
 

All Works © Siobhan Hapaska

ケニー・ラーキンが1994年に出したアルバム『Azimuth (方位角)』のフロント・カバーは、このミュージシャンの寂寞としたポートレイトを浮かび上がらせていた。頭部はあごと額の間で切り取られ、写真はソラリゼーションされ白い紙の背景に銀色にプリントされていた。ポジとネガ、凹面と凸面の狭間に起こる微かな転位の結果、顔の部分部分が背景に溶け込んでゆくように映り、そのほかの特徴が鋭いコントラストでもって、 月面のうねりのように際立っていた。彼の瞳は見つめる相手を認識しているらしき磨き上げられたクローム製の眼差しを返してくるのに、こちら側の視線は、その表面を貫くのはもちろん、そこに留まって安らぐこともできないほど、強烈に反射されてしまう——そんな瞳だった。

 

『Azimuth』はデトロイト・テクノの古典となる一枚だったが、その音楽は、カバーの肖像同様、工業的でエレクトロニックなるものと、あからさまに合成された「自然な」ものの名残の混合物だった (最初の曲は、人為的なイントネーションでロボットのように繰り返し 「ハロー」と唱える、 シンセサイザーで組み込まれた男の声でスタートする)。 このアルバムは、シヴォーン・ハパスカの彫刻に相通じる要素をふんだんに呈示している。完璧なまでに仕上げられ、複合的な出来事の発生する瞬間で区切られた流動する形態の美学において、そしてこの時代の都市に生きる人間の在り方を描き出す、その見取り図において——。 デトロイトは、言うまでもなく、アメリカ製の自動車を送り出してきた故郷だ(「だった」 と、言うべきか)。アメリカの風景を媒介する計器の製造に捧げられた都市であり、この国の圧倒的なまでに広大な開かれた空間を抑え込むものだった。デトロイト・テクノに反映されていたのは、都市化された産業の中心という、この街の遺産に対するノスタルジックな眼差しであり(「インダストリアルな製造工程で消耗される自動人形としての人間」 という否定的な意味、あるいは、「自動車とドライバー、コンピューターとオペレーターの間に奇跡的に見出される、人間と機械との象徴的一体化」という肯定的な意味、 その双方において)、 人間の生存に関わる電子機械工学的な側面が、新たなポジションにまで引き上げられた社会の姿だった。それは、あらゆる収穫に付随する喪失を意識に留めつつ、この世における人間の曖昧な在り様を示し出すが、その立場は断固として反=牧歌的なものだ。「産業化の時代(インダストリアル・エイジ)」という概念は、18世紀以来、我々と共にあったが、原材料と完成した製品を結ぶ鎖はより長々しいものとなり、この鎖にかかわる生産プロセスは増大し、我々が自分自身のためにつくりだした都市空間とそれを構成する要素の源との連関は、いっそうみきわめにくいものとなっている。クロム、バナジウム、パラジウム、ポリ塩化ビニル、エポキシ樹脂——この崇高な素材の羅列はなんなのだろう? これらはどこからやってきたのだろうか?

 

一見すると、ハパスカの作品の多くは、自然なるものと人の手によってつくられたものとの間に生じる緊迫感に関わっているように映るかもしれない。羊毛、異国風の木板、植物といった素材が、ファイバーグラスや金属のストラクチャーと併置されている。しかしそれは、人の手によって触れられたものとそうでないものを隔てる真実味を持ったなんらかの違い同様、我々の美的感覚上の偏見や、自然という言葉が実のところなにを意味するのかについて、移り変わりゆく我々の視点に対して、戯れを仕掛けるという対抗なのだ。シリカ、シリコーン(有機ケイ素化合物)、シリコン(ケイ素)——砂の持つ生(なま)の日常性から、 美容整形で身体に移植される物質経由、先進諸国の機能を維持しているマイクロチップ行き、「天国への3つの階段」だ。この3つの間でそれらの素材が、ほとんどありとあらゆる連想を網羅する。粗く粒状で自然な感じ、柔らかくゴムのようで触感豊か、硬く磨き込まれておりエレクトロニック——。けれどもこの3つは、根本的に同一の物なのだ。一般に「自然だ」と認識されるものと「人工的」とされるものと、ふたつの関係はどれくらい近しいものなのか? 農場は「自然」 なのか? 都会の住人の大多数にとっては、そう思えるだろう。けれどもそれは、何千年もにわたって人間の活動により形成されてきた風景であり、 近代的な農業技術はアメリカの農場を、食品工場という都市化された自然へと変貌させてきた (90年代初頭にはインターネット上に、環境指向派グループ『alt. save.the.world [世界を救出せよ]』 に対抗して、『alt.pave.the. world[世界を舗装せよ]』という名のニューズ・グループが躍り出た。この集団の寄稿者たちの採る皮肉なポジションによると、我々が保護し優しく育てるためにこんなにも多くの時間を費やさなければならないやっかいな自然はすべて、エネルギーを浪費させるものだという。「手入れ不可能な街中の庭の例を見ろ。 労を省いてただ、小綺麗で維持しやすいタイルで覆ってしまうべきだ。その上をランド・クルーザーでドライブしよう」という主張だ。機械化された農作業はすでにこの任務を事実上果たしてしまった)。この広大な食品工場に育つ植物、例えば米国産の大豆は、何世紀もの間、今日に至るまで、選りすぐって品種改良されてきたものであり、他方で石油会社は、精製工程の副産物の中に肥料として使用可能なものを発見し、品質向上のために食物の遺伝子操作に手を貸すようになった。自然それ自体が、「不自然」なのだ。早晩、欧米の農場の大半が、害虫に強く農薬に依存した無菌のクローン種に占拠されるだろうが、そこで形成されるのは、唯一の——つまり我々自身の食物連鎖の一部分だ。かくして奇妙にも、ヘンリー・フォードの自動車製造ラインが農業のモデルとなる。車を走らせるために燃料と石油を製造してきた会社の数々が、いまや我々の口にする植物を育み、その進化の過程に活発な役割を担うこととなった。

 

エンジニアリングの会得は、機械、電子、遺伝子工学上のいずれのレベルにせよ、啓蒙思想期に始まった夢の達成を意味し、空間的な意味において、国家のレベルでは車というかたち、地球規模で言えばジェット機というかたちで現れ出たエンジンこそが、あらゆる事物の尺度となった。このふたつの発明が——その精神的故郷をたどれば合衆国の拡がりが標しづけられる——、20世紀における空間と環境に対する我々の知覚を、さらには我々の自己イメージを、革新的に変化させてきた。ハパスカの作品の多くには、旅や移動の概念への言及がふんだんに見られる。字義どおり現れる場合もある。例えば《FAR(遥かに)》(1994) では、作品の傾斜する角度と側面の膨らみが、スピードを出したオートバイに乗って角を曲がろうとしているライダーの姿、人間と機械の結合というモダニストの概念が推し進められ、有機的かつ人工的な、新しいひとつの統合体へと文字どおり融解してしまった姿を暗示していた。色調が目まぐるしく変わる塗装は、夜の深い青みと象牙色、機械(マシーン)と骨(ボーン)の狭間で揺れ動き、見る人がその周りを移動する間中、作品は絶え間なく変容し続けるため、その全体性において形態を把握することが不可能なものとなってゆく。《MULE(驟馬)》(1997)では、フェラーリの複製車の前部が彫刻に組み込まれており、常時点灯したままの目玉のようなヘッドライトが、まるでそれ自身の命を持っているかのように遠方へと光線を放っている。 ハパスカの壁掛けファイバーグラス彫刻の多くも、コンピューターでデザインされた航空機のパーツ、あるいはハイ・パフォーマンス車の車体パネルやダッシュボードに似た、 複雑な曲面と貝殻のような象りを見せている。

 

この審美学は、移動行為の中で我々の味わう「封じ込められる」という感覚を示唆する。飛行機のポッドやコクピット搭乗者の身体にフィットするようにと各々の部分が互いを補完すべく組み合わされたつくり、ときにしなやかに屈曲しときに頑なに立ちはだかる表面、 身体と機械の接触領界にあって、快適さとコントロール性の向上のために結合する有機的な素材と無機的なそれを想起させられるが、それは、あらゆるものが直裁に手の届く所にある 「内部」として、世界を小宇宙の中に再創造することなのだ。《HERE(此処)》 (1995) は、 例えば、小さな救命用の筏か脱出艇のようなかたちに持ち上がったプラットホーム状の作品として空間内を浮遊するが、少々意外なことにそこには水が含まれており、丸みを帯びた側面をつたって、水は少しずつ中心部にある源へと流れ落ちてゆき、ついには視界から消えてゆく。作品の中央には羊毛を被せたパネルが拡がり、身体を拘束するストラップ・ベルトと酸素マスクが据え付けられている。ベルトで押さえ付けられるということ自体、高速での動きに備えた安全措置を思わせるが、それは同時にまた、この台に乗る者をその場に締めつけて固定する拘束装置でもある。酸素供給も同様に、飛行機の緊急時用酸素マスクといった安全装置を思い起こさせるものでありながら、台の使用者の脳に酸素を豊富に含んだ血液を流し込み、彼らの意識を澄み透った明晰な状態に持ってゆくものともなる。この研ぎ澄まされた意識の中で、流れ出る水の環で独り切り離され、合成してつくられた「自然な」 環境に置かれ、搭乗者は、「いま、ここ」についての瞑想に耽るべく取り残される。作品は内省的な旅のためのひとつのメカニズムなのだ。

 

あまりに目的性を欠いた、あるいは過度に目標を掲げ過ぎた旅程というものは、本当の車愛好家連中のカー・カルチャーの中ではおとしめられているものだ。「ドライブに出かけること」 は悦びであり、それ自体で完結した目的、コントロールの自由を握っているということだけでなく、機械が乗り手に対して反応する感度の良さやコクピットに腰を下ろす快適さも味わう行為なのだ。ハパスカの回転草彫刻は、この植物が、生物体としての機能上、 あてもなくあたりを彷徨うという点を取り上げ、その彷徨の光景を、メカニカルで工業的工程を経て製造される避けがたく都会化された環境の中に転移させて、奇妙な風景をつくりだす。ひょっとしたらこれは、ハパスカの自認する「開かれた風景の中にいると、自分の些少さを感じさせられる」という感情から生まれた復讐なのかもしれない。植物は、風に吹かれて砂漠を渡ってゆくというそれ本来の生命のサイクルを残酷にパロディ化され、自分自身の動きすらコントロールできない、磨かれた鏡の上を無為に滑るだけの瑣末な存在となってゆく。そして、おそらくこれもまたメタファーなのだろう。《LAND(大地)》(1998)において、不定形で巨大な量にそれでも希望をもってしがみついているエア・プラントのよ うに、ここでは回転草というかたちを取って、生命は突如、脆くて傷つきやすく、地層の動きのスケールやペースと照らし合わせてみればつかの間の存在でしかないもののように思えてくる。《LAND》の輪郭をとらえたファイバーグラスの表面は、地理的な特徴を暗示しながら、海を渡る旅人たちにとって大地が持つ大切さ(新鮮な水と植物の命に溢れる安息の地)を暗示する。あるいはその表面に円を描く窪みは、もうひとつの解釈を差し示してくれる。 CD、MD、CD-ROの板の上をらせん状に走っているデータ・トラックが示す、「反射する・しない」の標しは、「ランド (陸地)」と「ピットアモルファス (窪み)」という名を持っている。「ランド」から「ピット」への移行と逆行が、イメージ、音、映像、テクストやソフトウェア、つまりはデジタル化可能なものすべてへと解読されうる、1と0から成るさまざまな長さのシークエンスを標し出してゆく。こんな地理学上の呼称の体系が、磁気光学的なデータ貯蔵のブロックを築くために適用されるのも、たぶん理に適っているのだろう。

 

データは、旅と同じく、潜在的な可能性に深く関与するものだ。一台の車はあなたを、いつ、 どこにでも、連れていってくれる。インターネット上や一枚のCDの中のどこかに、あなたの必要とする情報、あなたを愉しませてくれる材料が存在している。目標を達成する手段を所有しているという事実は、その目標の達成自体と同じくらいに満足感を与えてくれるものであり、大いなるフェティッシュ化の源泉となる。我々はデータに対してじつに旺盛な食欲を腹の内に育ててきたが、過剰なまでの興奮ぶりは、陸地、空、海を渡る速度にまつわる記録を次々と制覇したり、単独で大陸横断飛行を行ったりと、我々の前の世代がスピードに対して抱いていた渇きにも似ている。ジェット機旅行が身近なものとなる以前には、水平線 ・ 地平線は、今日それが持っているよりも遥かに大きな意義を持っていた。それは可能

性と夢想のシンボルであり、失われたもの、遥か彼方にある、ほかのなにかに向かって投げかけられていたのだ。太陽の昇り沈む線は、直観される経験事の外部に在る世界に対し、 心的な投射を行うための焦点となるものだった。「ここ」以外のあらゆる場所が、その線の上に拡がっていたのだ。

 

旅は、今日よりもずっと身体的で触感的な意味合いにおいて、人がその取り巻かれている環境から避難するために保持するひとつの手段だった。子供や未成年のために綴られた幾多の冒険物語は、かつては、波止場に登場する主人公、その終局を予測できてしまうような人生から抜け出す可能性に酔った人物を待って、語り始めたものだった。 水平線(ホライゾン)は、「ここ」からたえず脱出して通り過ぎてゆく過程をとおして、自由の約束を呈示したのだ。我々はこの約束を物理的な意味では喪失してしまったが、データの探求において再び手にする。淡いグレーの壁掛けファイバーグラス彫刻の連作《WANT(欲する)》(1997)、 《HOW (いかに)》(1997)、《HANKER(焦がれる)》(1997)——は、タイトルから明らかなように、こうした憧れに満ちた渇望の類を喚起する。予期せぬ波動が象る流線型の表面、円錐状の頭部に向かって突如生じる鋭利な隆起、尖筆のようなプロフィールは、巡航艇、高性能車、ジェット機、あるいは「いまだ到来していない来たるべき乗り物」といった、逃走の形態の内に現れ出る高揚感をほのめかす。それぞれの作品の表面、絶妙の要所には、青い発光ダイオードが付けられている。星のような電気の色が瞬いて、煌めく水平線の誘いのように人の目をそこに引き寄せるが、この光はまた、データの読み取りや送受信のポイント、 作品の内的な生、「ここ」という居場所への視線も示唆する。ハパス力がより以前に制作した音の出る壁掛けの《HEART (ハート)》連作 (1993〜95)もまた、こうした憧憬の感覚を見る人の心の内において操作するための装置として機能する。 各々の彫刻は、褐色の合板でつくられ、前面に黒い布を張ったハート型の物体で、その外観はハイファイ・スピーカーを思い起こさせる。第一のヴァージョンは、聴き手の前方でスピードを上げながら周回する車の音を、こちらの方向感覚を混乱させるドッペルゲンガー効果の構成する不協和音の中に再生する。第三のものは、濃霧号笛の低く哀しげな息遣いでもってところどころ区切られた海原の呻きを響かせる。2番目の《HEART》は、人間の耳では解読不可能な、そこを貫き通り抜けることの叶わないような情報の流れの中での、高速度衛星データ送信のノイズを発している。それは、岸に向かって漂流する船の汽笛や、速度を全開にした車の持つなめらかな自己充足性と同様に、可能性の気配を、見る人の彼方に「あそこ」という場が存在しているという感覚を、呈示してくる。

 

ハパスカの仕事には一貫して、芸術作品とはひとつのメカニズム、見る人をある心の状態に連れてゆくエンジンであるという感覚が流れている。彼女の彫刻は、少なくともひとつの位相においては、我々の時代の中のほかの場所、特定の瞬間において見られた審美学とかかわる、20世紀の思考のある糸筋に属している。イームズの初期作品が持つ空気力学的機能

主義、リチャード・ノイトラの建築から溢れ出る新鮮な今日性、イサム・ノグチが1947年に制作した《月の天井》 に見られる曲線美のモダニズム、米国の宇宙計画の美学に触発されスタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』に典型化された、1960年代終わりから70年代初頭のインテリア・デザイン——これらの中にその審美学は見出されてきたのだ。じっさい、『2001年...』はホメロスの『オデュッセイア』に相応するものだったが、 ならばバークの「崇高」の概念に相応するこの時代の産物とはなんなのだろう? ひょっとしたらそれは、CERN粒子加速装置や一台のフェラーリの中に見出されるのかもしれない。 トマス・モアの 『ユートピア』やプラトンの『国家』に対応するものとは? もしかしたら、PERL言語やモトローラ社製マイクロチップの設計図かもしれない。これらの歴史的瞬間のひとつひとつは、未来への志向、そして、積もり貯まった文化の沈殿物とすでに受諾

された概念が内包する盲目さから脱け出したいという欲望のゆえに、標し刻まれてきた。ハパスカの描く見取り図は、「近代」に対する批判性を欠いたものではない。進化の概念に対する信念 (それ自体もうひとつの「逃避」の形態であるが)、 それが理知のないテクノロジー信奉へと固定化してゆく時、かつての西洋文明の枠組みである体系化された宗教がそうであったように、攻撃を浴びる。ハパスカの《THE INQUISITOR (宗教審問官)》(1997)は、世界に対する思考と視野の多様性を受け入れず、教条的な拒絶を示したことを詫びるために舞い戻って来る。マルセル・ブロイヤーの腰掛けに座って懺悔を強いられ、審問官はラテン語で語り出す。彼のモノローグは、現代の広告から抜粋されたキャッチフレーズを挟み込んだ聖書の文句らしき文章で構成されており、彼が処罰した者たちの想い描いたヴィジョンと彼自身の不毛の両方を認める。ハパスカは、我々の生きているエンジンの時代が内包する馬鹿馬鹿しさ、《HEART》に使用された行き着く所などどこにもないのにただただ高速で疾走するF1レーシング・カーの音を捕らえた果てのないループに典型化されているような不条理を、承知しているのだ。それでも肝心なこととは、畏敬の念を触発するようななにか、気高いとすら感じられるものが、 モダニズムの産物の中に存在しているかもしれないと了解することだ。それは、我々の手にある最期のユートピアン・モデルなのだからー。 この千年期(ミレニアム)が終焉に向かっているいま、なにが失われてしまったのかを認識しつつ、しかもその独創的なヴィジョン——水平線の彼方に拡がる 「あそこ」 という考えに対する敬意を抱きながら、我々は、それ自体の欠陥を意識したモデルを振り返り、そのもっとも偉大な功績の内に、悦びを見出すべきだろう。

ジェイムズ・ロバーツ:

1965年、ロンドン生まれ。ロンドン大学コートールド美術研究所に学び、美術史の修士号を取得。現在、『frieze』誌(ロンドン、ニューヨーク、ベルリン) の編集長。他誌にも精力的に寄稿し、同時に多数の現代美術展を組織している。

初出=『セゾンアートプログラム 〈NICAF '99 TOKYO〉特別参加
    〈シヴォーン・ハパスカ〉展
    ロンドン・アートシーンの騎手:明滅する記憶の未来形』(キュレーター=是枝開、杉山悦子)
    展覧会カタログ、財団法人セゾン現代美術館・セゾンアートプログラム:東京、1999
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