刀根康尚
——音と言葉の寄生する通行路
An Interview with Yasunao TONE

Courtesy of the artist
「人はそれ自身、その表面においてのみ、人である。皮を剥ぎ解剖してみよ、機械がそこに現われる。そこで君は、不可解きわまる実態、君の知っていることとはまったく異質の何者かのなかで、君自身であることをやめるが、それにもかかわらず、それは本質的なことなのだ」
「……パノプティコン、つまり、パン+オプティコンとは、それによって、あらゆるものを見るだけでなく、あらゆる方法でもって見ることだ」——。
「横浜トリエンナーレ2001 」で、刀根康尚(1935年生まれ、ニューヨーク在住)が「乗っ取った」音声ガイド・システムのヘッドフォンをつけて、会場の赤レンガ倉庫を廻ると、脈絡を欠いた唐突な、しかし同時にさまざまな連想を誘うセンテンスが、デジタルのノイズ音に挟まれて聞こえてくる。各部屋の展示を見ながら、両耳を通じて開かれていくもうひとつの光景を、そこに重ね合わせていく。それぞれの作品から感じ取る時間や空間の合間を行き来しつつ、別の時間、別の空間の中を歩いていく。
「今回の作品のタイトルは《Parasite/Noise》、つまり英語では「寄生/雑音』という意味。フランス語では『パラジット』という言葉は、『寄生』のほかに『雑音』という意味ももっていて、電話とかの通信に入る余分な音のことなども指す。コミュニケーションのノイズという概念の中に『宿主に寄生する』という意味が含まれているわけです。
テキスト自体がほかの作家の作品に対してのパラサイトなわけですが、そこにもうひとつ、テキストに対するパラサイトをつくった。それがノイズなんですね。作品にとって必然的な要素ではないけれど、作品とそれを享受する人との結びつきに作用するもの。そういう潜在性をもつものをつくりたかったんです」。
「寄生」された他作家からは、どんな反応が返ってきたのだろうか?
「ひと部屋だけ、デ・レイケ&デ・ローイには、空間をクリーンに保ちたいと設置を断られましたけど、あとの作家はみんな快く、ね。わりと喜んでくれているみたい。作品が互いに重層化すればよいな、と思っています」。
流れてくる言葉は、すべてベンヤミンの『パサージュ論』からの引用だ。
「都市の中のアーケードを彷徨する遊歩者の視点で書かれた、文字どおり『通行』的な書物ですし、ほかの人びとの言葉の引用も多いので、この本を選びました。複数の人の言葉を流して、作品の方向性をいろいろな方角に開いていきたかったから」。
アートを外部へと拡散させ、体験を共有するためのツールとする姿勢、言語と音への関心、作品のメディ アがもつ特異性や展示される場のシステム全体に働きかける手法——1960年代から現在まで、刀根が長い活動のなかで展開してきたこれらの問題は、今回の出品作にも顕著だった。現在は、万葉集に登場する2400種の漢字を成立させたイメージ(漢字に内包される絵画素)を探り、そのイメージとアナロガスな写真を探し出し、それをスキャンしてデジタル情報に変換し、音波として読み取って音に変換するという「一種の音響化された辞書」を制作中。なぜ言語にそこまでこだわりがあるのだろうか?
「グラフィックな記譜法、つまり図形楽譜も、言語と同じで記号を扱うものですから。いわゆる西洋の記譜法ではない方法を、僕なりに理論化したいと思っていた。西洋文明における時間を保存する方法とはアルファベットであり、そのサブ・システムである楽 譜だという話を読んだことがあります。つまり、ヨーロッパの言語とともにヨーロッパの音楽はある。そういうものの外部にある音楽をつくろうという思いがつねにあったんです」。
Photo Caption……
2001年9月8日深夜、 赤レンガ・カフェにて生演奏を披露。テープを貼って読み取りを狂わせたCDを再生するプレイヤーを指先で弾いて振動させ、エラーの集積が生む予測不可能なノイズを響かせた。