Young British Artists of the 1990s:
1 & 2
——ヤング・ブリティッシュ・アーティスツ 1 & 2:
YBA 総括論その3











1
「雑音無視! 自分の時代は自分でつくれ」
——感知されたメッセージはこれだ
いつ頃からだろうか? 「なにかが移り変わってゆく」 と、この国が感じ始めたのは——。振り返って見れば、転機の予感はつねに傍らにあり、この国の住民たちが吸い込み吐き出す大気の粒子をめまぐるしく彩り変えていたように思う。たとえば1980年代も黄昏に向かい始めたあの頃。70年代後半以来台頭していた「強い英国」の宣伝効果——「ビッグなマネーで、ビッグに発想、ビッグに夢見て、ビッグに消費」——が機能不全状態に迷い込み、サッチャー政権人気も傾き出したとき、巷では、にわか仕立ての「ポストモダニズム」のメッキが剥がれ落ち始めて……。「近代」は終焉するどころか、わたしたちの足元に分解処理待ちの「ごみとお宝混合物」の山をうず高く積み上げて、郷愁と嫌悪を喚起する。1990年の暮れ、湾岸戦争勃発前夜には、「鉄の女」は退き、「(なにをするにも不明瞭な)灰色の男(メージャー首相)」にバトンタッチ。これまで密かに鬱積させてきたルサンチマンを放出するかのような周縁領民たちの逆襲 (サマー・オブ・ラヴ、レイヴ、エクスタシー、ジャングルにB-Boy、マイノリティの復権 etc.…) と、そこへまた反撃に出る保守右傾旋回の波。「ポリティカル・コレクトネス」を巡る仮装劇が鎮まりを見せてきた頃には、分別不能なイデオロギーに飽き飽きした人々の「心の電波受信装置(マインドセット)」の中には、ガードの固い真空管がすでにしっかりと膨らんでいたってわけ。「雑音無視! 自分の時代は自分でつくれ」。感知されたメッセージはこれだ。
さて、蓋を開けてみれば、そんなメッセージは、ずいぶんとこの国の「内発的」な体質に適ったものだったようだ。元来、アマチュア主義的探究心とミニ・プロダクションを重んじ、冷淡至極なまでに徹底して「個人」の独立性尊重を基盤とするお国柄。「近代トラウマ」に足を掬われ腰の重い海の向こうの連中を尻目に、危険なまでに突出し、一歩間違えばたんなるエキセントリックな変人でもある、インディヴィデュアル・クリエイターたちが、堰を切ったようにこの国から溢れ出てきた。サービス産業、バイオテクノロジー、コンピューター、都市計画、デザイン、ファッション、ポップ・ミュージック……いつの間にやら、殊に首都ロンドンは、「世界でいちばんクールな街」と、アメリカの『Newsweek』 誌の表紙にまで謳われる事態となっていた。
アートの流れを回顧してみれば、この10年間、いかにそれがこうした「1990年代の神話づくり」に深く関与してきたか、よく理解できる。今日、国際舞台で旺盛に活躍している作家だけに絞ってみても、50〜60人は下らない「YBA(Young British Artists)」と総称されている連中を見れば。便宜上、「事の起こり」とされているのは、1988年に、まだ美大生だったデミアン・ハーストが企画した「フリーズ(凍結 Freeze)」 展と、そこから輩出されたギャリー・ヒューム、マット・コリショー、セアラ・ルーカス、サイモン・パタソンら、 「YBA第一世代」の活躍だが、 レイチェル・ホワイトリードやピーター・ドイグ、ダグラス・ゴードンなど、独立独歩型作家も同時期にその活動を始動。そして92〜93年頃からは、ギャヴィン・タークやジェイク&ディノス・チャップマン、サム・テイラー=ウッド、トレイシー・エミン、ジョージナ・スター、さらに遅れて94〜95年頃から、クリス・オフィリ、スティーヴ・マックィーンら、次世代アーティストたちも多数加わってゆくことになった。
今回、未だ日本で広く紹介されていない代表的なアーティストを中心に、その一部を紹介する機会を頂いた。おのおのの作家の個性の多彩さについては、写真とキャプションを見て味わってもらえればと願う。
パーソナルな話になるが、1993年から足かけ5年にわたり、月日の大半をロンドンで過ごしてきた偶然の傍観者のひとりとして今思うことは、「十年一昔」という言い回しの真実だ。1988年から98 年まで——個々の作家のもつ時間尺はそれぞれ相対的なものであったとしても——「YBA (Young British Artists)」として総称された「文化産物の集合体」にとって、10年は長かった。ひとつの文化が芽生え、普及し、歴史として記録され、次の展開を手探りで求め始めるには、十分な時間だった。
奇妙なことに、昨年の1997年には、一大グループ展「センセーション:サーチ・コレクション所蔵のヤング・ブリティッシュ・アーティスツ」のロンドンでの開催、そしてテレビや一般紙/誌での紹介ラッシュにより、英国内でのYBAに対するマス認知が飽和状態に達した感が漂い始めたのと同じ頃、英国社会全体もまた、ある種の転換期のムードに覆われ出していた。18年間の保守党支配に終止符を打って踊り出た、トニー・ブレア率いる新生・労働党政権のもと、80年代以来、最高をマークした景気指数に助長され、革新への期待と戸惑いが、人々の心から零れ落ちてくる。「プレ・西暦2000年(ミレニアム)熱」にうなされながらも、この国がすでに片足を踏み込んでしまった「未来」 は、インディヴィデュアリスト(個人主義者)たちの体内を透過して、これからどんなヴィジョンを描きつづけてゆくのだろうか——?
2
〈心〉のリ・プログラミング
どことはなしに既視感を誘われるにもかかわらず、いざ記憶の中を探ってみると突き止めることの不可能ななにか——。あなたもかつてそんな物体に遭遇したことがあるだろう。仮にそれが、どこかの豪邸にあるような、黒塗りのつやつやしたらせん階段だったと想像してみてほしい。あなたは豪邸に招かれたことはないかもしれないが、あなたの脳の小部屋の中で、比較的手付かずで無垢な空間を探して、突如脈絡もなくぽつんと出現したこの異質な物体を置いてみてくれればよい。はっきりとした在り処も行き着く先も確信されることのありえないこの階段を、あなたはとりあえず、登ってみたり降りてみたり……。だが、正体は掴めない。「意味は不明だがとにかく否応無しに存在している」この階段を許してやってほしい。それはすでにあなたの〈心〉の余った一角に、根を下ろしてしまったはずだから——。
われわれの心理的なメカニズムは果たしていかに機能しているのか——。たとえば、トマス・ギドリーによる、この小さな階段の模型には、そんな関心事が潜んでいる。彼の別の作品《僕の最初の感化機械》は、こうした抽象的で掴みどころのない疑問に対し、極端に即物的な切り返しで応酬する。工学の教本から抜け出てきたかのようなこの設計図は、ある種の精神病患者が、彼ら自身の内部に存在し、なんらかの電波により彼らの行動を制御しているのではないかと信じてきた装置を描いている。小気味よい明解さを湛えた、幾分、時代錯誤な装いのメカニカルな仕掛けは、《ステレオ人生》にも登場するが、ここではステレオ放送の原理に準えて、左右ふたつに分裂したパーソナリティ(人格)のイメージを、網膜上でひとつに統合させるレンズというかたちをとる。科学的な測量に適った「真実らしさ」を感じさせる視覚言語を用いつつも、実際には、客観的に推し量り尽くすことの不可能な、われわれの心理作用の不可思議さを、対照的に浮かび上がらせる。
観客個々人の心理空間を照準点に定め、彼らの想像力の羽ばたきに作品の解釈を委ねるという姿勢は、シヴォーン・ハパスカの仕事にも共有される。超高速で疾走する近未来の乗り物が、その運転手のもつ有機的な人体と融合したかのような物体——。滑らかに流れる曲線に象られたそんな美しい塊が、ギャラリーの天井から降り注ぐ青い光を浴びて、艶やかな輝きを放つ。対面する壁には、高級木製フレーム付きスピーカーをハート型に歪めた物体が掛けられ、微かな波の音と蒸気船の汽笛を伝えてくる。その傍らの床には、着古した衣服に身を包み瞑想する、両脚を欠いた男のリアリスティックな像。部屋の奥手には、瀟酒な羊の毛皮が敷かれた酸素吸入器付きのベッドを、静かに流れる細い水路で囲んだ立体が、インストールされている。
まったく外見的には異なるこれらの作品は、ひとつの空間に併置されることによって、ある 「物語」を奏で出す。 旅の聖人として何世紀もの間、崇められてきた聖クリストファー。 1960年代、ちょうどジェット機旅行が身近なものとなった頃、「実在を証明する根拠に欠ける」としてカソリックの教典より除外されたこの聖人は、もはや旅人を運ぶための脚を奪われた過去の亡霊にすぎない。過去から未来へと流れてゆく「時」、その流れの中に、テクノロジーは進化の軌跡を刻み込んでゆく。われわれの抱く「移動」という概念に、なんらかの作用を及ぼしながら——。異なる時空間を漂い移動する自由は、観客個々人の内的な意識の流れの只中に見出される。
映像を主として活動するジャキ・アーヴィンとタシタ・ディーンも、「物語」の要素を想像力の自在な展開を触発する鍵として作品に取り入れる。アーヴィンの《星》は、暗闇の中で眩惑的なリズムを刻みながら揺れ動く、シャンデリアのほのかな灯りをスローに再生したスーパー8フィルム作品。記憶の中で色褪せ、ディテールの喪失された古いテレビドラマを想わせる映像を背景に、叙情的なワルツと語りが流れる。
「ヴォッカでいっぱいな、ドライなお話/男と女のふたり/パブで出会う/ふたりは入って腰を下ろす/でも/ふたりは寄り添って座らない/バーの両端に席を取る/…ヘイ、ハンディキャップ/ヴォッカをもう一杯飲む?…/こう女は何回も尋ねる/しばらくすると、女は飲みすぎて/床に倒れ落ちた/星のように」
強いドイツ訛りの舌足らずな語り、感情を抑えた女のその声は、酩酊した女と身体障害をもつ男の間に展開したコミュニケーションが、頓挫し宙づりになるさまを伝える。親密な雰囲気を醸し出す粒子の粗い簡素な映像が、言葉によって語られる物語と奇妙に擦れながら絡み合う。
ディーンの《少女—密航者》は、1928 年、密航者として冒険旅行に出て世の注目を集めたジーン・ジーニー (Jene Jeinnie) という少女の古い写真を、作家が発見したことを契機に始まる。その後、制作中に作家の出くわした偶然の連鎖——ラジオから流れてくるデイヴィッド・ボウイの歌 「Jene Genie」、彼女を訪れたフランス人男性ジュネ (Genet) と、彼から聞いた名前の意味(“genet” の英訳は ”broom” で、 海辺に咲く黄色いエニシダの花を指す)、 のちに難破した密航船が漂着した岸辺で、突如、殺人事件が起り、数十年振りに、船の写真が新聞に登場したこと……。複数の出来事に関する報道映像や記事を、自身の体験した私的な遭遇の記録と折り混ぜて再編集し、フィルムとインスタレーションとして呈示する。交錯する「物語」の筋、その真実は空想の領域にしか追跡されえない。
私たちの心の内に潜む感情のエネルギー波が左右に揺れ動くリズムを捉えたいと、ジェーン&ルイーズ・ウィルソン・ツインズは言う。観客を実験台に催眠術を施すテレビ番組を参照した映像作品《催眠暗示505》では、意識の彼方で互いの仕草をなぞり合う自分たちの姿を投射。彼女たちは覚醒と情操操作の合間を実際にかい潜ったのか、それともメディアが提供する娯楽の虚実をパロディ化しているのか——? 《クラウル・スペース(うごめく空間) 》では、ウィーンにある19世紀末様式の老朽化したホテルで、自らLSDを服用し、撮影を敢行。ふた組の異なる映像が同時進行で展開する。絢爛たる装飾の名残りを留めながらも荒廃した密室で、さるぐつわをはめられ椅子に縛り付けられた双子の片われを、もう一方が引きずり廻る。救出のため? それとも自ら手にかけた死体を処理している最中なのか? 別の画面上には、水中に浸された双子の一方の顔が大きく映し出されて浮かび上がる。彼女の口から吐き出される球型の白い塊。その曲面に、もうひとりの姿が反映する。まるで水泡の中に封じ込められたかのように——。双子は互いを産み落とす「母」なのか? その過剰な情動は「正常な」愛情を逸脱するなにかにとりつかれた者を想起させる。制御しきれないエネルギーを潜在的に内包する空間——それは、われわれの住まう場所であるとともに、われわれの内部に潜む〈世界〉なのかもしれない。科学記録フィルム、B級ホラー映画、テレビ用アクション・スリラーの系譜に属する視覚言語を駆使しつつ、心理的な緊迫感の貫く空間を築く。
マス市場経済とそこに介在するメディアの網、その威力は加速的に効率を増し広範囲に及んできたのだと、あらかじめ聞かされながら育ってきた世代——。メディアから溢れ出た視覚要素が、私的な〈心〉の内部に、すでにプログラムされていようと、驚くには値しない。そんな素材と〈わたし〉の間に在る距離を測り、マテリアルを生み出したメソッド(手法)を対象化しつつ、自らの作品を制作しようという姿勢は、ドン・ブラウンとスティーヴン・マーフィーにも認められる。ある街のシンボルとして機能しているような公共建築物の屋根先から、下界を行き交う人々の姿を写真に収めてきたブラウン。ほとんど認知できないほど小さな存在となった任意の個人が残す痕跡を捉える。一方、マーフィーは、古い絵葉書にあった「典型的な」 英国の田園風景の写真をコンピューターで取り込み、CGで作成した蝶の群れが飛び交うさまを挿入したフィルムなどを制作。個人の痕跡が欠落し、なおかつ、特異な心理的効果(ノスタルジー、あるいは心許なさ、疎外感と不審?)を人為的に付与された架空の住処のイメージを、デジタル操作によってつくりだす。そんなふたりによる共作には、冷戦下で開発された軍事製品の模型を作成し、SFファンタジー仕立てに、超現実的なほど傷ひとつない精緻至極なCG加工を施した写真作品などがある。
ここに登場するアーティストたちは、自身の生きる社会の内に潜在する集合的意識と私的な体験の記憶、その関係の在りようを捉えたいという欲求を共有している。操作された視覚情報が未来の行方を規定しつつ、過去の歴史を書き直しうる時代にあって、 物事の「真実味」を推し量る試みの契機となるのは、〈個〉としての自己の在り処を探る行為でもあるのかもしれない——。
Photo Captions……
「確実性、イデオロギー、あるいは理想主義といった観念を喪失してしまった世界——そんな世界が意味するものを捉えたいという欲求が至る所に存在している。アートのジャンルを分かつ任意のカテゴリー付けに制約されることを拒み、心理的な体験のあらゆる側面を作品に導入するアーティストの出現は、世界をいかに捉えてゆくか、まさにその認知の仕方自体の変化を示唆している。この世代のアーティストたち、彼らの視覚認識は、アートの形態にまつわる伝統のみならずレンズと(そこに捉えられる)ナラティヴの構造を通じて形づくられてきた。それはシニカルなジェネレーションではない。が、かといってひたすら無邪気でナイーヴというわけでもない。なにが喪失されてしまったのかということを鋭く意識し、書き留められるべき自分自身の体験を取り上げて、殺伐とした時代の惰性を相手取って進んでゆくさまざまなやり方を指し示す。政治的なストラクチャーによってというよりもむしろより強烈にマスをマーケットの主眼に据えたメディアの威力によって個別性という概念が加速度的に浸食されてゆくなか、物事の相違がだんだんと見極めがたいものとなってゆくなか、(中略) 私的なリアリティの最期の領分とは、イメージ、 名前、音そして『物語』の構成する多層的なマトリクスの内に見出される。個々人の記憶のなかに宿り、ひとつひとつの経験のうえに織り重ねられその経験のもつ意味を明らかにさせる、そんなマトリクスの内に――。」
ジェームズ・ロバーツ『ジェネラル・リリース(一般公開)』展カタログより、1995
James Roberts, “Never Had It So Good...', in General Release: Young British Artists at Scuola di San Pasquale, Venice, exh. cat., 1995, British Council, p62.
Gary Hume
ギャリー・ヒューム
Tracy Emin
トレイシー・エミン
Exorcism of the Last Painting I Ever Made, 1996
Courtesy of Jay Jopling / White Cube, London.
Douglas Gordon
ダグラス・ゴードン
ヒッチコック監督の映画作品をスローモーションで編集し直し全編を24時間かけ無声再生した《24時間サイコ》(1993) などで著名に。 操作された映像の断片がわれわれを時に魅了し時に跳ねのけるのはなぜなのか、そうした反応はわれわれの意識下の堆積された欲望や怖れといかに関わりを持つのか、といった問題提起の契機となる心的空間をつくりだす。 抽象的であると同時に、受け手の捉え方次第できわめて特定的な意味をも与えうる両義的なメッセージを含んだテキスト、 絵画作品なども。われわれが経験する事柄に意味を与えるものとは何なのか。なぜ、またどのようにそれらは解釈され記憶されるのか、われわれが認識する物事の〈真実味〉のうち、どこまでが個々人の私的な経験知に由来し、どこからが社会的・歴史的に刷り込まれる集合体の記憶に作用されるのか、といったテーマを追求しつづけている。 左……《Above All Else》 右……《ヒステリカル》 ともに1995
Courtesy of Lisson Gallery, London.
Mat Collishaw
マット・コリショー
初期のコリショーはSM雑誌のピンナップ・ガール、警察の所轄する自殺者の記録写真などをもとにスキャンダラスなイメージを送り出していた。現在ではヨーロッパ文明の歴史的文脈にのっとりながら、現代における人工的な生と病、美と残虐性の関係を捉え直す仕 事を掘り下げている。真空管内で、窒息の間際にありながらさえずりつづける小鳥のイメージを球体のガラスの檻の中に投影した作品《アンティーク》 (左中) は、同種の科学実験を題材にした18世紀啓蒙運動期の美術作品を再解釈したもの。「(今日では) 僕らの感情はあまりにも操作されている...。本当の感情とは何なのか? 何が〈真正の〉反応をつくりだすのか? 毎日イメージの洪水が攪拌しているなか…堕落や苦しみのイメージなんて、もはや僕らに対して何の作用も働きかけてこない。 (構図や印刷技術などの)写真としての質に心を動かされ…僕らは世界から切り離されてゆく。」と本人。右は、1998年2月ロンドンに開廊したコスチューム・ギャラリーでの2人展展示風景。アレキサンダー・マックイーンのための帽子とアクセサリーデザインで知られるデイ・ルウェリンの作品をスタイリング、撮影。
Courtesy of Lisson Gallery, London.
Courtesy of Judith Clark / Costume Gallery, London.
Gary Hume
ギャリー・ヒューム
病院や牢獄、学校など既存の建築に備わっていたドアを家庭用ペンキで塗りつぶしミニマルな記号的空間をつくりだしていた初期のヒューム。彩色された2次元空間であると同時に、位相の異なる場所へと連なる扉をも想起させる平面を制作していたが、現在では大幅に軌道転換を遂げ、大衆文化や私的な体験にソースを求めたフィギュラティブな仕事へと移行している。カラフルでポップなイメージだが、その表象する対象は往々にして両義的で連想力をくすぐられる。下は《ラブラブのアンラバブル》(1994) P100は《2枚の三つ葉のクローバー》(1994)
Courtesy of Jay Jopling / White Cube, London.
Julian Opie
ジュリアン・オピー
1982年、若干23歳にしてロンドンのアート界の注目を集めた。業務用冷蔵庫や換気空調機など、マス生産された工業製品に類似した形態をもつ立体連作などを発表。装飾性を極度に控え、無機質な白やシルバーの色彩で仕立てられたこれらの物体は、悪戯っ子のユーモアと不可思議な美しさを兼ねそなえていた。以来現在まで、近代社会を構成するさまざまな環境要素 (規格化された都市の街並み、道路や空港などのインフラ設備) への鋭い洞察、物の持つかたちとそこに込められた意味の関係への関心を、一貫して追求しつづける。近年では、現代人を取り巻く環境を、コンピューター・ゲームや幼児用学習玩具モデルの呈示する世界観を思わせる手法でシミュレートした絵画やインスタレーションも。右は手前から《ケオプス王の大ピラミッドはフランス全土の周囲を低い壁で覆うに十分な石から成る》《人体には6万マイル分の静脈、動脈、 毛細血管が走っている (II) 》(ともに1991)、下は《これらを並べられると想像してごらん》(1992)
Courtesy of Lisson Gallery, London.
Dinos and Jake Chapman
Untitled (Drag Anatomies) 1996
Courtesy of Victoria Miro Gallery, London.
Rachel Whiteread
Untitled (White Slab) 1993
Gavin Turk
Pop 1993
Courtesy of Jay Joping / White Cube, Lodon.
Sarah Lucas
Auto Erotic 1997
Damien Hirst
In and Out of Love (detail) 1991
Courtesy of Jay Joping / White Cube, Lodon.
Gillian Wearing
Courtesy of Interim Art, London.
Darren Almond
H.M.P. Pentville 1997
Fan 1997
A Realtime Piece 1996
Courtesy of Jay Joping / White Cube, Lodon.
Tracy Emin
Everyone I have ever slept with 1963-1995
Courtesy of Jay Joping / White Cube, Lodon.
Photo Courtesy:
アートダイナミクス、東京都現代美術館、栃木県立美術館
「REAL/LIFE」展は1998年5月31日まで、栃木県立美術館 (028-621-3566) にて開催中。イギリスの新しい美術として、ヒューム、コリショ一、ゴードン、ルーカス、ウェアリング、ホワイトリード、サム・テイラー=ウッド、ジョージナ・スター、ウィリー・ドカティ、シール・フロイヤー、アーニャ・ガラッチョ、モナ・ハトゥムら、12作家により制作された、1990年代半ば以降の28作品を展示。10月10日〜12月13日、東京都現代美術館 (03-5245-1142) にも巡回。
「British Video Art Show: Hidden Desires & Images」展 (1998年5月21日〜6月16日、渋谷パルコギャラリー、03-3477-5873)は、エミンの《Why I never become a dancer? 》、 ヒュームの《Me as King Cnut》、タークの《A marvelous force of mature》、最年少のダレン・アーモンドの《H.M. P. Pentonville》、スミス/スチュアートの《Mouth to Mouth》などのビデオ作品のほか、ロンドンのアーティストたちを、ウォーホルのスタジオ「ファクトリー」に集った様子を記録した写真群を彷彿とさせるモノクロ写真なども展示される予定。
英国アート界の鬼っ子、 デミアン・ハーストがこの2月にはロンドンに自身の経営によるレストラン・バー第2弾「Pharmacy」をオープン。店内を彩るのは、薬の瓶がびっしり並んだ壁面キャビネットや、白衣の人物がピペットで薬物らしき液体を吸い上げている写真をフィーチャーしたメニュー、学校の化学室に展示されているプラスチックの原子構造モデルのような物体……。ファーニチャー・デザインにジャスパー・モリソン、グラフィック・デザインにジョナサン・バーンブルックを迎えてコラボレーション。
Thomas Gidley
トマス・ギドリー
My First Influencing Machine 僕の最初の感化機械 1993
The Monkey Picture モンキー・ピクチャー 1994
Impossible Staircase 不可能階段 1995
No Rest for the Wicked 邪悪な者に休みなし 1998
Life in Stereo ステレオ人生 1993
Courtesy of the artist.
Siobhan Hapaska
シヴォーン・ハパスカ
Heart 1995
How 1997
Here 1995
ロンドンICAでの個展「聖クリストファーには脚がない」会場風景 1995-96
Courtesy of Entwistle Gallery, London.
Jane & Louise Wilson
ジェーン&ルイーズ・ウィルソン
スタン・シティ 1997
ガレージ 1993
カルト・キャビネット 1993
巣窟 1995
Normapaths 1995
催眠暗示505 1993
Courtesy of the artists and Lisson Gallery, London.
Stephen Murphy & Don Brown
スティーヴン・マーフィー&ドン・ブラウン
Self-portrait as a Rabit 1992(マーフィーの作品)
バヴァリア 1996
新作 1998(マーフィーの作品)
鉄床(かなとこ) 1996
ミサイル 1995-96
小部屋 1994(マーフィーの作品)
Courtesy of the artists and Lisson Gallery, London.
Jaki Irvine
ジャキ・アーヴィン
Margaret Again マーガレット、再び 1994
Star 星 1994
Another Difficult Sunset
Swet Tooth 甘党 1994
Losing Doris ドリスを失って 1996
Courtesy of Frith Street Gallery, London.
Tacita Dean
タシタ・ディーン
Disappearance at Sea (cinematoscope) 海に消える
Girl Stowaway 密航者—少女 1994
How to Put a Boat in a Bottle ボートを瓶に入れる方法 1995
Courtesy of Frith Street Gallery, London.
Photo Courtesy: Entwistle Gallery (Hapaska), Frith Street Gallery (Dean,Irvine), Lisson Gallery (Wilson, Brown & Murphy), the artists (Gidley, Murphy, Wilson)
初出=『STUDIO VOICE』1998年6月号、8月号、インファス:東京