CHAPTER 2
「漂えど沈まず、されど鳴きもせず」を解釈する
——作品分析、そして、
オルタナティヴな英語訳のための
ケーススタディとして
周知のとおり、『囀る鳥は羽ばたかない』には、先行して創作されリリースされた、ふたつの関連する短編作品がある。ひとつは、2008年4月、雑誌『drap』で発表された、影山と久我の出逢いと恋愛を描いた物語「Don’t stay gold」、そしてもうひとつは、翌2009年6月、雑誌『HertZ』で発表された、十代の矢代が影山を相手に片思いの初恋を体験した物語「漂えど沈まず、されど鳴きもせず」である。この2編は現在、『囀る鳥は羽ばたかない』第1巻に収録されている。*1 そして、第2作目の発表から2年余りを経た2011年8月に、『囀る』本編の連載がスタートすることになる。
本章では、この第2作目「漂えど沈まず、されど鳴きもせず」を丹念に再読し、筆者なりの分析・解釈を試みたい。理由は、この作品自体がそれ単体でも、ひじょうによく構成され奏でられた珠玉の一篇であるためであり、そしてなによりも、矢代が初めて主役となり、その後の『囀る』全体の構想と創造につながった、きわめて重要な作品であるためである。
それと同時に、また、このエッセイの英語版では、本作を読む行為を通じて、日本のマンガ作品を英訳するための「オルタナティヴな(別の)方法」を提示し、「著者の個性的で美しい日本語原文の表現に、できる限り忠実で精緻な翻訳を作成しようと試みること」が、果たしてどこまで可能かつ有益でありうるのか、ひとつのサンプル検証、つまりケーススタディを展開してみたい。
そのため、本稿の英語版の章では、本作から引用され、日本語から英語に翻訳された部分を、すべて、ふたつの色を用いて区別して表示する。グレーで記した部分は、カリフォルニアのDigital Manga Inc.社傘下レーベル、Juné Manga社から刊行中の、公式英語版第1巻における翻訳者サイ・ヒガシ氏による英訳からの引用であり、2021年秋に改訂された新版に準拠する。他方で、ブラックで記した英訳部分は、前述のとおり、「オルタナティヴな翻訳の事例研究」という本稿の目的のひとつのために、筆者が日本語版原文から英語訳を作成し直した新訳である。*2 本稿自体は日本語であるので、こうした英訳部分の色分けによる差異化は施さず、すべて地の文と同じグレーのままとし、日本語版よりそのまま引用する。
本編はわずか39ページと短い作品だが、内容はたいへん濃密かつ重要で、『囀る』に登場するふたりの主要なキャラクター、矢代と影山の高校時代の物語に遡る。先述のとおり、矢代の初恋を描いた作品だが、影山への報われない恋心の自覚を通じて、矢代が、自分自身の、そして「人間というもの」をめぐる圧倒的な孤独の存在を深く知る、そんなほろ苦くて切ない物語である。冒頭、最初のカラーページでは、両の手首を黒いネクタイのような紐で縛られ、口を白い布で塞がれて、背中に刺青を入れたヤクザらしき男と、激しいセックスの真っさなかにある、裸の矢代のイメージが現れる。布団の上で、背後から男のペニスを尻に突っ込まれて呻きながら、鮮烈で忘れがたい矢代の言葉が、彼の内的なモノローグとして流れる。
矢代(心の中で)
「人間は矛盾でできている
犯したい
犯されたい
苛めたい
苛められたい」
『囀る』シリーズ全体を通じても、もっとも重要な矢代のモノローグのひとつである。このセリフは、ひと言で言えば、矢代と『囀る』の世界観にあまりにもうまくマッチしている。矢代が、ひとりの人間として、どんな本心、どんな人生観・世界観を持っているのか、『囀る』をめぐる作品群が、いったいどのような物語をここから創造しようとしているのかが、鋭くかつ的確に、語られている。つまり、このモノローグは、矢代にとっても、本作にとっても、きわめて固有で特異的な言葉であり、著者が『囀る』の世界を通じて伝えようと思い描いているだろうことを、驚くほど直接的かつ簡潔に、具現化しているように聞こえる。それは、人間というものが、いかに、重層的で、しばしば矛盾をはらんだ両義的な存在であるかを教えてくれるが、矢代もその例外ではない。むしろ彼は、私たち人間の極端な一例である。ある意味で、セックスのさなかの人間のありようは、われわれ人間の奥底にある、もっとも原初的な性質、「本性」を、自ずと表出させる。したがって、矢代の性行為中の呻き声は、このモノローグにふさわしいバックグラウンド・サウンドとして機能して流れ、人が、人生の中で、しばしば直面するアンビヴァレントな真実を語るこのセリフを、説得力をもって支えている。
矢代
「ン——っ…
…っ
…っ
…ッ
ンッ
…ふ
……っ」
この鮮烈な印象をもたらす冒頭のシーンのあと、矢代の学生鞄が床に置かれただけの、ひとけのない彼の住まうアパートの窓辺に広がる、どこか神々しいまでに美しく圧巻な、紫っぽいグレーからクリーム色の雲の漂う、オレンジ色に輝く黄昏の空を描いたタイトルページを挟み、次のエピソードが展開する。矢代と影山が、他の多数のクラスメイトたちのなかでも、なぜ互いに親しくなったのか、そのきっかけが明かされる。それまで矢代が慎重に人目につかないよう気をつけてきた、手首やその他の場所に残った、男たちとの激しいセックスの経験による傷やあざに、ある日、気づいた影山は、以来、矢代に事あるごとに絆創膏を貼るようにと持ってくるようになった、というエピソードだ。
矢代も影山も、ともに、ひじょうに自立したタイプの少年であり、校内でほかの男子や女子と特別親しくなることもなく、むしろそれぞれがひとり孤立した存在であったようだが、互いにある種の共感(エンパシー)や同情・同調(シンパシー)を抱くようになる。矛盾するようだが、お互いに、独りきりでいることを好むタイプだという匂いを相手に感じ取ったからこそ、なにがしかの親近感を共有するようになったように映る。
つづいて、再び、矢代による自身の家庭環境や性的嗜好を観察・分析した長い内的なモノローグが流れ、物語が進展する。彼が、10代後半当時すでに、どのようなセルフ・イメージを育ててきたかを知るうえで、この独白はきわめて重要だ。
「説明させて頂くと
これらは俺が自ら望んでこうなったもので
間違っても家庭内暴力などの辛気くさい類のものではない
そもそもこの一年程 母親は、帰宅した痕跡(ルビ:・・)があっても会った記憶がないし
その再婚相手(ルビ:・・・・)に至ってはここ三年程見ていない
——話がずれたが、
主に外的要因による傷みと自傷行為などによって快感を味わい
それによってオルガズムを得られる性癖
端的に言えば「マゾ」なのだ
その上 セックスをする上でのみ限りなくホモなのでタチが悪い
女とやるよりもはるかに男に突っこまれてる方が気持ちいい
そして マゾであると同時にサドの気もある俺は
中学の頃 女相手のセックスの際 そのサドっ気が出てしまい
相当泣かれてからというもの 男女のセックスが 面倒になってしまった
そもそも 女との能動的セックスではやはり快楽は得難いので
ますますもって ホモのような生態に近づいている のである
悲しいことに…」
この長い独白にあるとおり、矢代は、たんなるマゾヒストでもサディストでもない。本編のタイトルにあるように、彼は、その両極のあいだ、中間領域に「沈まずに漂い」つづけて生きている。そして、10代の当時すでに、彼の性的なありよう(セクシュアリティ)とセルフ・イメージの原型は、ほぼ確立しているように映る。のちに、彼が30代、40代になってもそうであるように、これまでのほぼすべての性体験が男性とのセックスであったにもかかわらず、彼は自分を単純に「ホモ」や「ゲイ」とは見なしていない。
この矢代の長いモノローグのあと、物語は次のエピソードに進む。影山が保健委員の当番を務める、ふたりきりの保健室で、矢代は、自分の胸や腹などに残る傷やタバコを押しつけられた跡を見たり触ったりする行為を、影山がなぜか好んでいるらしいことに気づくようになる。
矢代(心の中で)
「てゆーか…
これのどこが手当よ
ホモなのか?
さっきから触ってばっかなんだけど」
矢代
「あのさぁ 影山ぁ」
影山
「わっ悪いっ つい…」
矢代(心の中で)
「つい…?
もしかして」
影山
「……」
矢代
「傷とか 好きなのか?」
影山
「……」
矢代
「んー?」
影山
「……傷とゆうか
火傷跡とか…
ケロイドとか…」
矢代
「ははっ
なーんだー
そういうことか~~
早く言いたまえよっ」
こうして、ふたりの心理的な距離は急速に狭まっていく。そして、矢代もまた、影山に触れられると、興奮を覚えるようになっていく。
矢代(心の中で)
「俺のメリットは 単に面白いからというだけだったが
困ったことが ひとつだけあった
触られると あらぬ部分が興奮してくることだった」
矢代は、これ以上、この不可思議な影山との行為に深入りしてはいけないと自分に言い聞かせるが、そんな親密な時間を求める気持ちが抑えきれず、こう尋ねる。
矢代
「——当番
しばらくないの?」
影山
「…ああ」
そこでふたりは、視聴覚室に場所を移し、「触れる/触れられる、親密な瞬間」を繰り返し味わいつづける。
矢代(心の中で)
「更に二週間が過ぎた頃には
影山が触りたいのか
俺が影山に触らせたいのか
よくわからなくなっていた」
複雑な心理に揺れながら、矢代は、「ちょっとした悪戯心」から、影山に自身の秘密を告白する。
矢代
「——俺 バイなんだ」
矢代(心の中で)
「ちょっとした悪戯心だった
本当は男も女も 好きになったことはなかった」
けれども、影山は、とりたてて感情も関心もあまり示さない。影山の耳を指でつまんで引き寄せ、矢代の「告白」はエスカレートする。
矢代
「それだけじゃない」
影山
「!!」
矢代
「小学3年から中学まで
母親の再婚相手に セックスを強要されてからというもの
セックスのことが 頭から離れない
どうだっ」
影山
「………
そうか」
矢代(心の中で)
「その上 ドMなんだぜ——…」
影山は、今度は充分に困惑した表情を浮かべるが、それでも、語るべき言葉をほとんど持たない。矢代は、少し不満足気な表情を浮かべる。矢代は明らかに、影山に特別に惹かれ始めており、それまで誰にも明かしたことがなかったであろう彼の性的虐待経験まで告白して自分を晒し、ふたりのあいだの心理的距離を縮めようとしているように映る。
そして、場面は一転し、続くシーンでは再び、矢代は、男と激しいセックスをしながら、自分の心の中に浮かぶこれまでの人生の経験やそれへの想いを、内省的なモノローグで語る。
矢代(心の中で)
「人生とは 後ろ暗いことの連続だ
そういえば あの再婚相手は 俺が“男”の躰になるのを酷く嫌がってたっけ」
しかし、このセックスで、彼は男にしたたかに殴られ、ひどい怪我をしてしまう。顔の傷の上に大きな包帯を貼り付けて登校するが、隠しきれず、皆の視線を吸い寄せてしまう。
矢代(心の中で)
「男のケツを犯すのは
おつとめ(ルビ:・・・・)終了後の粋なシュミだと思ってるヤクザを
俺はそんなに嫌いじゃない
嫌いじゃないが
本人のケツの穴自体は確実に小さいので
気をつけねばなるまい」
クラスメイトたちはざわめき、担任の教員は、放課後、矢代に職員室に来るよう言う。呼び出された矢代は、街で他の学校の生徒たちから「かなり一方的」に攻撃されたせいでケガを負ったと嘘をつく。そして、その担任に、影山はなぜ前日から学校を休んでいるのかを尋ね、影山が父親を亡くしたことを知る。「今頃はお通夜で あの影山も きっと涙してることだろう」と思った矢代は、「いても立ってもいられず来てしまった」と、雨の降る中を、影山の家を訪ねる。
矢代(心の中で)
「能面のような影山が涙しているかもしれないと思うだけで ワクワクした」
しかし、実際に影山の家に着き、影山に見つけられ呼び寄せられると、矢代は、赤面し、冷静さを失い、心の中でこう呟く。
矢代(心の中で)
「あれ? 顔が見れない」
香典を持ってこられなかったことを詫びながら、影山に横から引き寄せられ、たじろぐ矢代。やっとのことで彼が見ることができたのは、父の通夜に駆けつけてくれた矢代に、震える声で「ありがとな…」と言う影山の、涙を堪えて矢代に向かって微笑むその顔だった。
この出来事で、矢代の心の中の想いがついに、堪えようなく、溶け出すように溢れ出る。あわてて自分のアパートに帰り、つい今しがた目にし耳にした影山の顔や声を思い起こし、影山の名を幾度も繰り返し心の中で呼びながら、矢代は、性的なオーガズムに達する。
矢代(心の中で)
「影山
影山
……っ
んっ…
ふっ…
影山
———っ」
そこで矢代が思い描いた影山の姿とは
矢代(心の中で)
「想像の中の影山はタチでもネコでもなかった
ただ泣いているだけだった」
こうして矢代は、生まれて初めて、恋に落ちる。この矢代の内的な「告白」は、私には、これまでに自分が触れてきた、世界中の何千というマンガや文学、映画作品のなかでも、もっとも美しい、「恋愛の自認の場面」のひとつのように感じられる。矢代の恋の対象、それは「タチでもネコでもなかった ただ泣いているだけだった」。矢代が恋に落ちるには、それだけで十分だったのだ。それ以上は何も要らなかった。おそらく、人が突然、信じがたいような途方もない愛のうねりに真実、心の底から撃たれ、その波に心身のすべてで飲み込まれる経験とは、そんな純粋で圧倒的な経験なのかもしれない。そして、ひじょうに興味深いことに、矢代が欲情を抱いた影山のイメージとは、直接的な意味で性的なものではいっさいなく、恋愛の行為において「能動的」にも「受動的」にもなりえず、そのいずれにも分類不可能なものであったことだ。つまり、ここでの矢代の愛と性的な欲望の対象は、それ自体が何からも独立した一個の存在であり、恋愛の関係性における客体・主体として、いまだ性的に未分化な前段階に留まっているように映る。換言すれば、矢代のこの恋の対象は、まだ、現実の「愛の行為=セックス」において機能する以前の、純粋で無垢な領域に留まっている。そんな存在は、永遠に、誰かのファンタジーの領域における恋慕の対象でありつづけることも可能であると同時にまた、今後、いかようにも柔軟に可変しうる「推測不可能」で謎めいた存在のようにも映る。
物語は続く。
矢代(心の中で)
「バイだと性癖を告白してから
影山は「お触り」をしてこなくなった
ただの友達のように一緒にいる
拷問だ」
まさに、心底から、苦しい片思いに囚われた人間らしい、なんと切ないセリフだろうか。
矢代
「な——
最近のさー
俺のオナペット知ってる?」
影山
「知るか」
矢代
「葬式ん時泣いてたお前―っ
声なんか震えててよ 可愛かったぜ——っ」
ここで矢代は、自分が恋する相手に対して、まるで彼の母親であるかのような、じつにあたたかな愛情を抱き、心を許しているように聞こえる(矢代は、後年再び、『囀る』のもうひとりの主人公となる百目鬼に対しても、彼らの最初の出逢いからおよそ3ヶ月のあいだ、似たような、あたたかな「母親的」とも言える愛情を示すようになる)。冗談めかしているとはいえ、ここで矢代は影山に、自らの本心すら打ち明けているのだ。
しかし同時に矢代は、いつもの彼らしい賢明なかしこさも失わず、ひじょうに客観的な視点から、自身の恋する対象を観察しつづけてもいる。
矢代(心の中で)
「影山という男は
良くも悪くも 他人に興味がないのだ
人は皆同じで 平均的で
自分の考えの及ばない方向には行かないだろうと思っている」
そして、矢代の冷静で知的な頭は、自分自身をも、確固たる距離をおいた視点から観察し分析する。
矢代(心の中で)
「そして 俺は今
とてつもなく歪んでいる
ドMな俺が こんなにも普通に(ルビ:・・・) 影山に欲情しているのは
歪んでる証拠だ」
彼の分析的な内省は続く。
矢代(心の中で)
「影山を泣かせて 痛めつけてみたい
だが影山に拒否されたら
俺は多分 簡単に 傷つくのだろう
確実に
これは明らかに
俺に生じた歪み(ルビ:・・)だ」
このモノローグの直後、ひとり教室を立ち去ろうとする前に、矢代は、影山の机の中からコンタクトレンズ・ケースを指で摘まみ、こっそりとポケットに入れ持ち帰る。おそらくは、ほとんど無意識的に、ただ自分の恋する相手の片鱗を所有する欲求に従って、思わず持ち帰ってしまったのだ。そしてこのケースは、この先、長年、矢代の大切な宝物となる——。
矢代はなぜ、影山を、泣かせて痛めつけてみたいと思ったりするのか? こんなにも深く恋しているのに? 彼自身自認している「サドっ気」のせいだろうか? それとも、時折、彼の感情や行動に作用しているように見える、その気まぐれな「悪戯心」のせいなのだろうか? もしも影山に拒絶されたら、自分は確実に「傷つくのだろう」と確信しながらも、なぜ、自分の中に生まれた影山への想いを「歪み(ルビ:・・)」と呼ばねばならないのか? なぜ、自分は「ドM」だと言うのか? そもそも、彼は本当に、真実、マゾヒストなのだろうか? かつて一度でも、そうであったのだろうか……?
この短編作品の冒頭で、彼自身、語っていたように、「人間は矛盾でできている」というまさにその意味で、矢代は、至極「普通の」人間なのである。頭が切れ、人や状況を分析的に観察することにじつに長けているが、同時にまた彼は、自らに課した役割を「演じ切る」ことにも長けている。よって、彼は彼自身をさえも、上手く欺くことができてきたように映る。
矢代(心の中で)
「自慢じゃないが
俺は演技がうまいので
どんなに心の中が どろどろしていようと顔色を変えることなく
接することができる」
なので、影山が新しくガール・フレンドと交際を始めたあとも、矢代は、変わらぬ何食わぬ態度で、影山に対して振る舞うことができる。影山と彼女を思い浮かべながら、独り自慰行為にひたりながらも。
矢代(心の中で)
「このまま影山でばかりオナニーをしていたら
俺はじき精液まみれで溺死するだろう」
そして、「それもマズかろうと 久々にどこぞのオッサンに掘らせ」に出かけていく。その直後、ある日の学校で、矢代がその男とホテルに入っていくシーンを目撃したある同級生の男子が、もうひとりの男子と連れだって矢代の席にやってきて、矢代がホモで、セックスを売り物にしていると、彼をからかい蔑む。ざわめきだす周囲のクラスメイトたち。自分の席に座って机にうつ伏せていた矢代は、頭を起こし、ゆっくりと微睡みから目覚めたかのように、自分の前に立つ彼らふたりの声を聞きながら、静かに遠くの影山を見つめ始める。その次の瞬間、矢代は席から勢いよく立ち上がり、自分に軽蔑の言葉を投げつけ見下してきたクラスメイトの顔を両手で引き寄せて、深くキスし始める。矢代は、キレたのだ。クラスメイトのペニスと睾丸を片手で強く握り潰し、矢代は、狂ったように笑い始める。けれども、そんななかですら、矢代は、傍観者として振る舞うことを忘れず、影山を見つめながら、心の中でこう呟く。
矢代(心の中で)
「影山が
俺を
見ている——」
クラスメイト
「やめ…
ろっ
…..い….っ」
もうひとりのクラスメイト
「矢代
てめえ
はなせ…っ」
クラスメイト
「あああああ」
矢代
「ははっ」
矢代(心の中で)
「けたたましい悲鳴と
タマにめり込む感触
影山の俺を呼ぶ声と
俺の笑い声」
一部始終を心配げに見ていた影山は、いまや必死の形相で矢代に駆け寄り、矢代を両腕で強く抱き締めて、彼が襲いかかっている男子から、矢代を引き離そうとする。4つのシネマティックなコマの連続が描かれ、影山の腕の中で、矢代の笑いはだんだんと収まり、その表情は、少しずつ鎮まっていく。
この出来事から、矢代は、2週間の停学処分を受け、その後、学校に戻ってくる。そして、校舎の屋上で、矢代と影山が、ふたりきりで長い会話を交わすシーンが描かれ、物語はクライマックスへと近づいていく。
影山
「二週間
何やって
たんだ?」
矢代
「セックス」
影山
「 ……
親に…
怒られたんじゃないか?」
矢代
「ないないっ
会ってねーし
ここ一年くらい」
影山
「?
…そうなのか?」
矢代
「…」
矢代(心の中で)
「あんなことがあってもこいつは
まだ俺の性癖がよくわかっていないらしい
まったくもって 目出度い奴だ」
ふたりの会話と矢代の内省は続いていき、影山は、卒業後の進路の話を始め、自分は医者になるために医学部へ行くつもりだと言う。矢代は心の中でこう思う。
矢代
「…へえ
いいんじゃないか?」
矢代(心の中で)
「親の跡を継ぐ
なかなかお前らしい真っ当な生き方じゃないか」
影山
「矢代は?
なりたいものとかないのか?」
矢代
「そうだねー
芸能人なんかどーお?」
影山
「…お前ならなれるんじゃないか?」
矢代
「マジ?」
影山
「お前は他の奴と違うからな」
矢代
「あはっ
やっぱりー?
オーラかねぇ」
影山
「………
…悪い」
矢代
「ん?」
影山
「…俺はお前を
可哀想な奴だと 思ってる
お前が痛々しくて 可哀想だと
友だちなのに 思っている」
矢代
「…なんで?」
影山
「お前は…
ひとりだからだ
…俺もだが」
矢代
「…ひとり」
影山
「そうだ」
矢代
「へえ」
そして、影山は矢代に、矢代が影山の火傷跡などへのフェティッシュを馬鹿にしなかったことなどから、矢代が「変わってるが 嫌な奴じゃない」と思っていたことを明かす。こうして矢代は、影山もまた、彼なりに、「どこかおかしい」変わった人間であることに初めて気づき、驚く。
矢代(心の中で)
「なんと知らない内に
俺は影山にいわれのない共感を
覚えられていたのだ」
影山
「俺は お前が 大事だ
親友として」
矢代
「プッ
親友?
何ソレッ
キモッ
キモ——ッ」
そして矢代は、「やたらと笑いがこみあげてきて 俺はいつまでも ゲラゲラと笑い転げた」。これがこの屋上のシーンを閉める最後のセリフだ。
そして、ついに、エンディング・シーンがやってくる。屋上での長い会話を終えて、学校から自宅に帰ってきた矢代は、アパートの窓辺のへりに、夕暮れを背にして独り腰掛け、影山とのあいだに起きた出来事を思い返しているようにも、心が空白になってしまったようにも見える。そして、そのしばしの沈黙と静止のあと、矢代の大きく見開かれた両の眼から、大粒の涙が零れ落ち始め、やがて顔中、涙で溢れ返って濡れていく。まるでガラスの窓が粉々に砕け割れてしまったように、矢代の心は、ついに限界を超え、砕け壊れてしまったのだ。矢代は、本能的に、確信したのだろう。影山は、矢代のことを、「痛々しくて」「可哀想な奴」だと哀れみ、「親友」だと思っている。その気持ちは、決して変わらないであろうことを。そして、その「哀れみ」は、矢代自身の演じてきたセルフ・イメージを傷つけ挫くかのように作用し、矢代に涙させているようにも映る。このラスト・シーンは、屋上での影山の言葉、そして本作の冒頭に出てきた矢代のモノローグ——その反復と、一見微かな、しかし決定的で重要な意味を持つ変奏曲(ヴァリアント)——と、それらが織り混ざって回想され、想起されていき、とても感動的なエンディングとなっている。溢れかえる涙を湛えた矢代の顔のクローズアップの連続は、私たち、読者の感情を、強く、深く、揺さぶり、かき乱す。そう、彼もまた、ふだんはどんなに上手い演技で、軽やかに、さまざまな困難を乗り越えているように見えようとも、こんなにも傷つきやすく(ヴァルネラブルで)、繊細(デリケート)で、「純粋(ピュア)」で、「無垢(イノセント)」な、「普通の」ひとりの人間にすぎないのだ。涙が溢れ出るその顔は、これまでにもましていっそうに、とても美しい。そして、その掌には、彼があの日、思わずそっと取ってきてしまった影山のコンタクトレンズ・ケースが、握りしめられている、しっかりと……。矢代は堪えきれず、ケースを握りしめた拳に額を付け、顔を埋めて、泣き続ける。そして最後のページでは、フルページで夕焼けの空が描かれ、ラストの一文のみがその中心に浮かび上がっている。
このファイナル・シーンによって、本作「漂えど沈まず、されど鳴きもせず」は、その後に続く『囀る鳥は羽ばたかない』の物語を貫き、長く残響しつづける、忘れがたいエピソードとなっていく。
矢代
「……」
影山(矢代の回想の中で)
「お前は
ひとりだからだ」
矢代(心の中で)
「人間は
矛盾で
できている
寂しい
寂しくない
恋しい
恋しくない」
*1……
これらの作品の初出は以下のとおり。
ヨネダコウ「Don't stay gold」『drap』2008年5月号、コアマガジン:東京刊
ヨネダコウ「漂えど沈まず、されど鳴きもせず」『HertZ』band.32、2009年6月刊、大洋図書:東京刊
ヨネダコウ「囀る鳥は羽ばたかない」『HertZ』band.45〜、2011年8月刊〜、大洋図書:東京刊
本作からの引用部分は以下の日本語版既刊を参照。
ヨネダコウ『囀る鳥は羽ばたかない』第1巻、2013年、大洋図書:東京刊
*2……
公式英語版既刊第一巻の初出は以下のとおり。
Kou Yoneda, Twittering Birds Never Fly, Volume 1, Translated by Sai Higashi, Juné Manga, Digital Manga Inc: California, 2014.
なお、公式英語版初版の刊行は2014年9月24日だが、その後、いつ、何度、改訂版が刊行されてきたかは、奥付に記載がないため不詳。本稿の英語版では、2021年9月18日にリリースされた最新の改訂版を参照し引用した。
2021年秋執筆