top of page


ダグラス・ゴードンの
仕事に関する覚書


——拘禁と解放のあいだにある何か、
  あるいは照射し合う〈真実〉

IMG_8178.jpg

All Works © Douglas Gordon

Couortesy of Lisson Gallery, London.

​1

「僕が誰なのかなんてどうでもいい。ただ君と話がしたいだけなんだ。」

  ——ゴードンによる「インストラクション」作品、《スピーカー・プロジェクト》

    に参加した、 匿名を装う電話の発信者(1992)*1

「Trust Me(俺を信頼してくれ)」——ダグラス・ゴードンの左腕には、こんな一文が入れ墨されている。この入れ墨には、 彼の仕事を貫く3つの潮流——制作を起動させる3つの動機、と言ってもよい——が、これ以上ないほどの明白さでもって表出しているように思われてならない。

 

ひとつに、ゴードンの仕事を支えてきたのは、ある意味がいかに伝達されうるか、そのメカニズムと諸々の文脈が及ぼす作用に対する関心であり、それはまた同時に、他者によって意味の解釈が行なわれる過程への関心へとつうずる(たとえばあなたが見知らぬ男に出くわしたとき、 その男の皮膚から忽然と送り出される「俺を信頼してくれ」というメッセージを、あなたはどのように受け止めるか、どのような意味をそこに与えるのか?)。

 

ふたつめに、メッセージの発信地点である自己、あるいは信念の体系における照準点である自己は、歴史的な存在であり、決して「無色透明」ではなく、呪縛のごとく自らにあらかじめ刻印されている何ものかとどう折り合いをつけるかが肝要だという意識である(入れ墨は、決して風化しない過去の置き土産であると同時に、「消去不可能なもの」が存在する証となる)。

 

第三に、「信じて心を託す」、あるいは「信じる」という行為の拠り所がいかにあてにならないものであったとしても、「信じる」ことへの欲求を放棄しないことが可能だとすれば、そこにはどんな責務が伴うのかという問いかけ(あなたがこの入れ墨の突きつける要求を拒むことなく、 受諾するほうを選択したとすれば、あなたがその要求のなかに託そうとするあなた自身の欲望とはいかなる姿をしているのか、どんな〈真実〉をあなたは信じるのか? もちろん、あなたはこの入れ墨を拒むこともできる。しかしゴードンのほうは、メッセージの送り手としてあなたの心にさざ波を立てようと企てる者である限り、「信じさせる」ことに伴う責務から逃れることはできない)。

 

これら3つの流れは、互いに強弱を変化させながら、絡み合って展開する。 敢えて言い切ってしまえば、そのどれもがいまさら口にするかいもないほどに自明の問題かもしれない。むしろこれらのことを意識しない制作者などありえないだろう。探究の対象となる問題が根本的なのであるゆえに、ゴードンの諸作品は、その問題意識になんらかのかたちで関与しさえすればよいという意味で多岐にわたる(一見なんの一貫性も認められないほどばらばらに映る)。と同時に、すべての作品が互いに互いの変奏曲(バリエーション)であるかのように、終わらない反復と不意の逸脱を愉しみつつ展開してゆく。そして私がここで照らし出したいと願うものは、それら3つの流れの絡み合いの内から生まれてくる葛藤の「色」、抑制の効いたミニマムな表現の内に込められている、ある強烈な暴発する「色」、自らを拘禁するものと、そこからの解放の契機、その双方にどうしようもなく引き付けられてしまう状況をつくりだす、そんな作品の帯びる「色」である。

 

 

 

2

 

 

最初期の活動は、テキストを核に心理的なメカニズムの探究を巡って展開する。

たとえば、1990年、グラスゴーのサード・アイ・センターにて制作された《名前のリスト》では、自らの記憶の貯蔵庫を掘り起こすことをつうじて、認識と記憶のシステムの働きを検証している。ここでゴードンは、自身がそれまでの人生において出会ったと記憶している人々の名前すべてを記述しようと試み、結果、展覧会開催時には1440の名がギャラリーの壁面を覆うこととなった。壁から壁へと連なってゆく夥しい数のアルファベットで構成された文字列は、感傷を排した無機的な厳格さによって統合され、おのおのの名前は均質化された空間の構成要素として並べあげられている。可能な限り即物的に自身の過去についての人的な在庫目録を作成しようというこの企ては、しかしながらむしろ逆説的に、避けがたく意識を擦り抜けてしまう過去の存在(たとえば、リストに銘記されなかったが、あとになってアーティストによって想起され、あらためて忘却の淵から立ち戻ってきた友人たちの名の存在)を明らかにするものであり、記憶の在庫目録を作成することの不可能性を再確認するための実験にほかならなかった。それは、まるで「当り前」の事柄の確認ではあるが、いったん認めてしまえば、認識の基準点であるはずの自らの不能を認める告白ともなってしまう。ここで検証されている記憶とは、ゴードンによって物語られる彼自身の歴史であるが、それは現在との連関においてたえず変容しつづけるフィクションであり、気紛れな選別のふるいにかけられ、時の手による濫用に対してあまりにも無防備なものだ。そこで露にされるのは、彼自身にとってさえ制御不可能な彼、その不確かなありさまなのである。*2

 

回想の唐突さ、記憶の底に埋もれていた断片の予測不可能な再来、往々にして脈絡が曖昧なものと化してしまっているがゆえに、いっそう力強く想像力を掻き立てて多様な解釈を可能にさせる過去の断片——ゴードンの手がけるテキスト作品の多くは、記憶の持つ、そんな謎めいた性質を利用して、作品の受け手となる他者の認識と記憶のメカニズムに悪戯を仕掛ける方向へと開かれてゆく。

 

たとえば、91年ロンドンのサーペンタイン・ギャラリーで発表された《Above All Else(何にもまして)》で提示されるのは、「We are Evil. (我らは邪悪だ)」という一文だ。簡潔な文章は、その断定的なもの言いとは裏腹に、受け取る側になんの意味するところの確証も与えてはくれない。 「我ら」という代名詞はなんらかの結託、共謀関係の存在を示唆するが、 そもそも誰のことを指しているのか? メッセージの受け手である観客と送り手であるアーティスト? それとも作家とその作品を公開する場を与えた美術館のことか? あるいは人間一般? 擬古典様式の室内、その半球天井に大きく黒ペンキで綴られた文字。天井の中心近くには鮮やかな空色のペンキの染み溜まりが浮かぶ。染みは、あたかも救済と祝福の天界を現前させる目くらましの天井画に描かれた空のように、瞑想によって心を解き放つ 者へと開かれるであろう通過口を想起させる一方で、血飛沫のように跳ね飛びながら、安易な期待を挫く不穏な何ものかの存在をほのめかす。このような文脈を与えられて、テキスト自身が含蓄する疑似宗教的な、すでに消しがたく宣告されてしまっている罪の気配は、否応無くその強度を増す。しかしながらまた同時に、作品が制作された土地がロンドンであったことをかんがみれば、「We are evil.」という文句に対し、この地に本拠を置くミルウォール・フットボール・クラブのサポ ーターたちが歌う応援歌の一節として馴染んでいる観客もあったであろう。勝利の歓喜に、あるいは惨敗の悔恨に浸りつつ、我らがヒーローの武勲を讃える歌を合唱しながら通りを練り歩く泥酔したファンの行進において、その文句は、彼らを一致団結させ、集団的トランスに導く呪文ともなりうる。こうしてテキストの持つ意味は、作品を見る者ひとりひとりの想起する記憶の中味と接触しつつ変形していくだろう。

 

《インストラクション》連作においても同様に、電話や手紙というメディアをつうじてさまざまな短いテキストが送信される。

「I won't breathe a word (to anyone) [ (誰にも)決してひと言も漏らさないよ]」「Nothing can be hidden forever. [何事も永遠に隠しとおすことはできない]」「You can't hide your love forever. [あなたはあなたの愛を永遠に隠しとおすことはできない]」「I am aware of who you are & what you do. [あなたが誰で、何をしているのか、私にはわかっている]」「I have discovered the truth. [私は真実を見つけた]」——。

テキストは、抽象的であると同時に、おのおのの受け手を取り巻く諸条件(その人物の持つ過去の記憶、メッセージを受信した時点で彼/彼女の居合わせた場所、その時の彼らの気分などなど)によってはきわめて限定的な意味をも帯びるものである。

手紙(1991〜)の場合、大概は、美術館の所持するメーリングリストから選び出された任意の不特定多数が対象となり、短文のほかには、投函された都市の名、日付、略式の敬辞、署名といった最小限の情報しか与えられない。

電話(1992〜)の場合、メッセージはそれら形式上要請される情報すら持ち合わせず、さらに唐突に届けられる。プロジェクトは、たとえばこのように進行する。舞台となるのは、ある街角のカフェやバー。ゴードンはまず、その場所のマスターと共謀関係を結ぶ。内容はこうだ。ある定められた期間中、毎日店に電話を何本か入れるので、電話がかかってきたら常連客を適宜選んで、電話口に呼び出してもらいたい。マスターの承諾が得られた場合、ゴードンの指示に従ってプロジェクトの協力者(ギャラリーのスタッフ)が決められた時間に電話を入れる。客がひとり呼び出され、電話に答える。すると、彼/彼女の耳もとでゴードンの書いたテキストがひとつ読みあげられる。電話の主は名乗りもしなければ、気の効いた挨拶のひと言も口にしない。ただ不可解なメッセージがひとつ、なぜ、どこから、どんな目的のもとにやってくるのかいっさい明かされないまま、唐突に届けられる。話は一方的に切られ、メッセージの受取人は、予期せぬ電話の意味についての謎の中にひとり取り残される。

 

この電話作品で用いた手法は、往年のハリウッド・スリラー『汚れた顔の天使』(1938)に参照したものだとゴードンは語っている。監獄から出所したばかりのジェームズ・キャグニーの命をギャングの集団が狙っている。キャグニーがある酒場にいるのを確認したギャングのひとりが、酒場へ電話を入れて彼を電話口に呼び出させようと企む。「電話口に向かう男を射殺せよ」というわけだ。死の電話のベルが鳴るが、途中危険を察知したキャグニーは、ほかの男を自身であるかのように仕立てあげ、男がギャングの手によって命を落とす隙に逃亡する。

 

参照元である映画のシーンにおけるほどではないにしても、ゴードンの「インストラクション」に、ある種の不穏な気配が濃厚に漂っていることは到底否めない。電話を用いるにせよ、手紙を媒介にするにせよ、行為の目的は通常のコミュニケーション回路の攪乱にあるが、そこには一種の〈暴力〉が潜在する。「何事も永遠に隠しとおすことはできない」などという一文が不意に届けられたとき、気の効いたジョークだと捉える者もあるだろう一方で、誰にも知られることなく隠し持ってきたと信じていた私的な秘密が、その実、他者に暴かれていたのではないかという疑惑、秘密がこの先漏れ出ていってしまうのではないかという脅かしに満ちた不安を、メッセージの受け手が感じることは十分ありうる。反面、「あなたはあなたの愛を永遠に隠しとおすことはできない」などはずいぶんとロマンチックで、過去の恋愛体験で得たレッスンを感傷的に想起させるかもしれないし、現在陥っている恋が将来どのような方向へ向かっていくのか、期待と躊曙の混じり合う高揚感に火を点けるかもしれない。メッセージの内容はさておき、すべての場合に共通しているのは、つねに「あなた」を見つめている姿の見えない第三者の存在の強い示唆である。それは啓示、恩寵の光を与える神の存在のようでもあり、ヒチコックの『裏窓』に登場する窃視者ジェームズ・スチュアートのようでもある。ゴードンによれば、電話の場合、対象は基本的には無作為に選び出さ れるケースが多いが、手紙の宛先については、彼自身とすでになんらかのかたちで関係性を持っているとされる人々(彼と多少の面識がある人々、同じグループ展に参加する予定のアーティストたち、ギャラリーや美術館のメーリングリストに載っている人々など)を選ぶし、たとえば、もっとも匿名性が高く、ゴードンというアーティストが行なっているプロジェクトの存在を受け手に知らせるような段取りを用意していなかった際に送り出された「(誰にも)一言も漏らさないよ」という電話メッセージも、「たまたま、すでに受け手が罪悪感を抱いていない限り」、脅迫じみたものにはならないものだという。*3 おそらく、この指摘は正しい。だとすれば、「インストラクション」シリーズに漂う潜在的な〈暴力〉の匂いとは、現実社会における犯罪性の問題に触れる暴力というよりも、むしろコミュニケーション行為自体に内在する〈暴力〉——意思の伝達をとおして他者の心的空間に触れる行為に潜む〈暴力〉——の匂いだと言えるだろう。

 

なぜ意思伝達行為に潜む〈暴力〉をわざわざ晒し出そうとするのか? この問題を考えると、1992年に行なわれたプロジェクト、《美術館の鍵》が頭に浮かんでくる。これは、アイリッシュ近代美術館の鍵のセットを複製した「オリジナルの鍵」と、さらなる複製を奨励すべく同封された、まだなんのパターンにもカットされていない「空白の鍵」に、テキストを添えてマルチプルとして美術館に訪れる人々を対象に販売するというプロジェクトだった。

「(手に入れた鍵は本当に美術館の鍵の複製なのかという)作品の真実味を受け手が疑うかもしれないということが、正当性や信念を巡る問題を提起するのです。(中略)作品はその種の(深夜3時に美術館へ侵入しようと試みるというような)責任を受け手に突き付けるためのひとつのメカニズムです。 作品の意味を築く責任は彼らにあるのです。(疑問を解く)答えは、物としての作品を見つめていてもみつからない。モラルと倫理に関する問題を巡って考える個々人にもとづくものですから。」*4

要するにゴードンは確信犯なのだ。発話を仕掛ける者は、それを受ける者に発話の解釈を(たとえそれが「無視」や「無反応」であったにしても)要請し、否応なく相手を意味の付与活動における共犯者にしてしまう。この〈暴力〉の重荷を共有させるアーティストの責任を、逆向きに極端なかたちで晒しながら、それでも「あなた」は「わたし」を信じられるのかと問わずにはいられない男なのだ。

 

「誰かの心に触れたい」という欲求に潜む〈暴力〉の存在は、38枚の白黒スライド・セット作品《ペンタトール=ナトリウム入りのキス》(1993〜94)では、より明確なかたちをとって現われる。海の霧のような静謐さを湛える碧がかったモノクロームのネガ・イメージの中で、友人たち、ひとりひとりに頼んでキスを受けるゴードンの姿が、白いほのかな光の輪郭を伴って代わる代わる投射される。唇と唇を触れ合わせる行為は、「親密でありたい」という欲求の表示、あるいは親密な関係性を保持している当人同士によるその確認の証の共有であるが、ここでは、そんな行為に込められた意図は、ある行き過ぎた危うさを隠し持っている。ゴードンが唇に塗って密かにキスとともに送り込んでくるのは、ペンタトール=ナトリウムという一種の親密さの麻薬——麻酔薬、あるいは自白剤として使用される薬物だが、大戦期から冷戦下を舞台にしたスパイ映画などに登場することで広く知られようになった、俗に「Truth Drug (真実の薬)」と呼ばれているものだ。それは、心を弛緩させ信頼感を鼓舞し〈真実〉の告白を強要する。〈真実〉を覆っている不透明な膜を剥ぎ取ってしまいたいという欲求は、薬物という物質によって、ある〈真実〉が明快な一個のかたまりとして具現するという考え自体への疑惑によって相対化される。事実この作品の映し出すイメージは、光を介してのみ描き出される実体のない影であり、その幻影さえもが、〈真実〉の「陰画(ネガティヴ・イメージ)」にすぎないのだから。

 

 

〈真実〉が確固たる姿をもって露になるさまを見出したいという欲求の重みから、いっそ逃走を図ることはできないのだろうか? 1993年に制作された「記憶喪失の3段階」を巡る3つの壁面テキスト作品では、この「軽さ」への解放が、ほとんど自発的とすら捉えられる忘却への志向 の内に指し示される。*5「I have forgotten everything. [私はすべてを忘れてしまっ た]」「I cannot remember anything. [私は何も思い出せない]」「I remember nothing [私は何も覚えていない]」。3つのセンテンスはそれぞれ分断され、壁の前を通り過ぎる者がおのおの断片として浮遊する語を拾い集めなければ、文章として再構成されることはない。そこに残された自由の「軽さ」を感じる一方で、いったん文章が再構成されてしまえば、その文章自体は忘却の状態を言語によって表現しようという試みの矛盾を突いて、不意に気づかれた重力のように、「軽さ」を地に落とす。

 

「論理的には、もしわれわれが論理的という言葉を使うことができるならば、それら (3つの文章)は意味を成さないはずです。しかし、これらのドローイングを見た人はみんな、彼らが考えていたであろうこととは反対に、すぐにそれらを読むことができました。あたかも読むという知識は逃れられないもので、すなわち、あたかも人は、読み取り、言葉の構成、意味というこのメカニズムの奴隷になりうるかのように、見ることができたのです。」*6

……忘却と再認識の狭間に引き裂かれる悶えは、まだ続く。

 

 

 

3

 

 

壁も床も、天井も、すべてが深いウルトラマリンブルー一色に塗りあげられたほの暗い部屋の内部を、天井の円い明り取りから降り落ちる光が照らし出す。足を踏み入れると、いつか、どこかで、耳にした覚えのあるポップ・ソングが辺りに響き渡り、漠然とした懐かしみの念を誘う。キンクス? ディラン? ストーンズ? 歌を巡っていくつかのイメージがフラッシュバックさながら脳裏に到来し、意識の内部へと混入する。それは、その歌をかつて耳にした場所の光景、そこに居合わた知人の顔、その場に流れていた空気、漂う匂いなどなど、不意に混成したものの瞬間的な立ち戻りであるかもしれない。あるいはまったく反対に、歌を巡るいっさいの記憶の欠如、イメージの空白と直面する場合もあるだろう。いずれにせよ大差はない。流れ出る歌がつぎつぎに入れ替わっていくのに合わせて、喚起されるイメージもまた瞬時にして塗り代えられていき、それ自身の勝手気ままな法則に従いながら連鎖反応のごとく変転していく。拠り所であったはずの記憶の存在/不在を吹き飛ばしながら——。

 

《私の口とあなたの耳の間の何か》(1994)と題されたこのインスタレーションで流れる歌はすべて、ゴードンが彼の母親の胎内にいた9か月間、つまり1966年の1月から9月までのあいだに流行していたポップ・ソングである。彼は歌を口ずさむことができるだろう。でも、なぜ? いつ覚えてしまったのか? この世に生まれ出てくる以前、すでに母親の身体の膜の裏側から、彼はこれらの歌を聴いていたかもしれないし、聴いたことなどなかったかもしれない。後年、これらの曲がふたたび流行(ファッション)の気紛れによってラジオを賑わしたときに、記憶に刷り込まれたのかもしれない。

 

把握しきることのできない感化作用の網が交錯する歴史、その只中に捕え込まれているという疑惑が、「わたし」という者を規定したいという焦燥を、なおのこと煽り立てる。意識の起源を、ある日、ある時、ある瞬間まで、探りつめることが叶うのなら、この不定形で、あてにならない「わたし」という者も、確たる在り処を見出すのだろうか? 記憶が忍び足で摺り寄って来て、「わたし」の中に棲みつくことすら、コントロールできないのに? 青い室内で、彼の記憶は観客という侵入者に飛び火する。記憶のかけらへと凝結しながら、「わたし」はそこかしこに散開していく。ある日ふたたび、この侵入者たちが同じ歌を耳にするその瞬間、彼らの意識の内で蘇ることを密かに期待しつつ——。

 

私的な記憶とある共同体に保有される記憶との分かちがたい絡み合い——。この問題は、ゴードンが93年以降手がけ始めた、既存のフィルムを操作した映像を用いる一連のインスタレーション作品においてもつねに探求されつづけてきたが、ことにもっとも早く制作された2作品では、より直接的なかたちで現われ出ている。

 

テレビ・シリーズ『スター・トレック』から、カーク船長と女性エイリアンとの遭遇場面を集めてスローモーションで再生し、性的な欲望の喚起があたかも征服と被虐の関係性において不可欠のものであるかのように繰り返し現われる場面を捉えた《未知の環境下での予測可能状況》 (1993)、ヒチコック監督の映画『サイコ』から音を奪い全編を24時間かけて再生した「24時間サイコ」(1993)——ここで素材として取りあげられた映像は、たんにポピュラーカルチャーの一産物であるという範疇を超え、20世紀の生み出した文化史上の偶像(イコン)として、すでに現代を生きる少なからぬ者によって共有される、心象風景の断片として機能している類のものだ。ほとんど耐えがたいほどの遅さの内に再演される物語は、おのおのの観客が持つうろ覚えの記憶を触発しながらも、あらかじめ承知されているはずの結末へ辿り着こうと先走りする期待を裏切りながら、遅延によって露呈され、予期せぬ細部への注視を促すことをつうじて、想像力と記憶の双方が混じって織り上げられる新たな物語の体験を導き出そうとする。

 

たとえば《24時間サイコ》の場合、作品を目にしてまず圧倒されるのはその「記念碑的」とも言うべき物理的なスケールの巨大さだ。暗闇以外には何も存在しないような茫漠とした室内、その中空に浮かびあがる無音のモノクロ・イメージは、遠目に眺めているとまるで白日夢の中の風景がぽっかりと現われ出てきたかのように映る。1秒につき約2コマの割合でほどけ開かれていく『サイコ』、そこでは物語の筋は顕微鏡をとおし極限まで引き伸ばされたかのように分断され、これまで意識されることもなかった「風景(ランドスケープ)」の細部に、主役の座を取って代わられる。ヒロインの顔をよぎる影、緊張と弛緩の合間で歪み動く口もと、眼、 眉、瞬時に移り変わる筋肉局部の微妙な動き、白いシャワーカーテンのひだの揺れ動き、滑らかなタイルの質感と、ゆったりと流れ落ちる血が描く幾筋かのライン、いつまでもわだかまり滴り落ちるこ とのない水の飛沫のつくる模様、反射する光によって部分的に空白化を繰り返す視界——。むしろスティル写真の連続を観ているのに近い感覚だが、それはまさしく24時間ノンストップで上映される強迫症的イメージのごとく際限なく続く。記憶に残っているオリジナルのプロットは大概の場合、なんら慰めの足しにならず、むしろつぎの場面を予期しながらたえず待機の緊張を保つよう働きかけてくる。ときに登場人物たちは喋る。しかしその語りは音を成さず、ただ吐息のように虚空の中に吸い込まれていく。

 

「物語」の意識から追放されていたはずの細部への偏執狂的とすらとれる眼差しは、「語り」によっては語り尽くされえない何か、意味の連鎖から滑り落ちたはずの余剰物の不意の再来を、畏れと期待をもって待ち構えている。

 

精神病理、精神分析など、医学上の必要性から20世紀初頭に撮影され保管されていた記録映像を用いたインスタレーション連作においても、この眼差しは、われわれを縛りつける。 同じく大戦下、延命の望みのない重傷を負った実の兄弟を死の苦しみから救おうと、自らの手で射殺し、この経験から受けた極度のショックのために記憶障害を起こし、事件を忘却した代償として右手が銃の引き金を引いた格好のまま固定してしまった男の手をクローズアップで写したフィルムをエンドレスに反復した《引き金にかかった指》(1994)、 1907年イタリアにて撮影された、突然の発作に見舞われたある女性ヒステリー患者と、彼女を抑え込みマッサージを繰り返して沈静させるふたりの医師を記録した短いフィルムを援用、互いに傾斜して支え合う一対の大きなスクリーンを設置し映像を投射、片方は通常の速度で、もう一方は左右反転させたイメージを速度を遅くして反復・再生した《ヒステリカル》(1995)——これらの作品はすべて、身体に刻印された記憶、その機能不全と心との関係性を扱っている。

 

たとえば《10ms-1》では、第一次世界大戦中に爆弾衝撃を受け戦闘神経症となった退役兵が、収容された病院の室内で、麻痺した脚を引きずりつつも床から起きあがろうともがくさまを捕えた映像が、スローダウンされエンドレスに再生される。それが、永遠に失われた過去として葬り去ることが叶わない〈傷〉の痕跡の際限ない再生であることを、われわれは作家から知らされているが、その簡素な映像の美しさと、ほとんど優美な舞踏を披露してい るとすらとれる男の動きの曖昧さのために、ときとしてわれ知らず、目前に繰り広げられる映像に、反発を覚えつつも魅了されてしまう。男はある不能の瞬間の中に捕獲され封じ込められているというのに、われわれはそのスペクタクルのサディスティックな観客として、われわれの欲望を誘い出すと同時に跳ね返す何か、その充足をときに約束しときに拒むものの正体を探し求めてしまうのだ。それは、「視るという行為のメカニズム」に本来的に備わっている〈暴力的〉な性質を巡る作品であり、そこでは、われわれが示す分裂した反応の語る〈真実〉とは何かといった問いに対する、いっさいの明快な判断は、つねに先送りされつづける。

 

記憶と再認識、期待と躊躇、魅了と反発——相反する状態の狭間に観客を宙吊りにする心理的な空間の構築は、その後の映像作品でも変わらず追求されている。深紅のペンキで塗り立てられた室内に一台のラジオとスクリーンを設置、放送されているいかなる電波も捕えないようチューニングされたラジオが、ただ砂の流れ吹くようなノイズを立て続けるなかで、 スクリーン上にはさざ波の寄せ引く水面に乗船者のいない赤いボートが放置され微かに揺れ動いている映像のループを、正逆回転の方向に交互に再生・反復しつづける《リモート・ヴューイング 13.05.94 (ホラー・ムーヴィー)》(1995)、1960〜80年代に行なわれたロック・コンサートの様子を収めたビデオをスローダウンし、ステージ上のパフォーマンスが 群衆の熱狂を煽るさまを視覚的には伝えつつも、再生スピードの操作と音の欠落がスクリーン上のトランスを遮断し密閉してしまう《ブートレッグ連作》(1996)などをはじめとして、現在ではかなりの点数に及んでいる。

 

なかでも、ルーベン・マムリアン監督による映画『ジーキル博士とハイド氏』(1939)を流用した《正当化された罪人の告白》(1996)は、 相反する二極の狭間に生じる揺れという問題に、もっともダイレクトなかたちで臨んだ作品と言えるだろう。互いにもたれ合う一対のスクリーン上に、ジーキルがハイドへと変身する場面を集めた映像が映し出される。一方にはポジ、もう一方にはネガ・プリントで処理された同一の映像が、互いにわずかな時間差を保ちながら流れ出す。ひとりの男が、白と黒、ふたつの世界へと分裂していく。善と悪のイメージは、初め、明快すぎるほどにはっきりと二分されて現われ出てくるが、ファインダーが男の顔から離れ、彼の視点から捉えられた周囲の室内空間へと移り、分裂の耐え難い苦しみに自失寸前に追い込まれた男の感じるめまいを辿るかのように回転しだすにつれ、白黒混じり合った、互いに判別不可能なものとなっていく。光と闇の洪水が、ふたつのスクリーンを交互に洗い流し尽くすまで——。

 

 

 

4

「私は迷信が許容されず、「悪」であることは人が神の加護から放たれ、それゆえに仮に角のある種族や墜天使の一群と結託するまではしないにせよ、角のある種族の餌食とされてしまうと見なされる、そういう環境で育ちました。このせいで私が作品を結びつけている筋がなんであるかを正確に言うのは難しいのです。もちろん、私は客観的な視点に立って自分 自身についての論考を書くことはできますが(悪くない考えです)、本当の疑問点は、確かに、その糸が「何か」ではなくそれらがどこからほどけるかということでしょう——それらはどんなふうに絡み合っているのか そしてもつれをほどくこ とはできるのか——もしそうなら、どこにそれはつながっているのか?」

                       ——ダグラス・ゴードン、1998 *7

そもそも、私がここで成すべき仕事は、ダグラス・ゴードンという、いまだあまりこの国でその作品を目にする機会に乏しいアーティストが、いかなる仕事をしてきたのかを紹介することだった。しかし、仕事に着手してまもなく、私が彼の活動に影を落とすある特有の「色」の内に捕え込まれてしまったのは否めない。「ダグラス・ゴードンとはどんなアーティストなのか?」という問いの要請に忠実たろうとして「色」に固執し、逆にその問いの不遜に盲目であったのではないかと感じる、と申し加えておきたい。

自身の唇にスコポラミンを塗り、鏡に映る己の姿に接吻して〈真実〉の自分を暴き出そうとする男、その反転した自己の鏡像をファインダーで捕え、「否認の(ネガティヴ)イメージ」として他者に見せつける男——そんなアーティストが何者なのか、誰が公正に捉えうると言えるだろう?*8 歩み寄る糸口——それは、投げかけられる問いに、問いをもって応酬するエンドレスなやりとりのなかにしか見出しえないだろう。

*1……

Speaker Project, Multiplici Culture, Rome and ICA, London, 1992

会話全文は、以下のカタログに再録されている。

Douglas Gordon: It Doesn't Matter Who I am. I Just Want to Talk to You : 24 Hour Psycho, exh.cat., Tramway, Glasgow, 1993.

 

*2……

このようなテキスト作品を目にすると、ゴードンが、彼と同世代の作家の多くと同様、1960〜70年代のコンセプチュアル・アーティストたちの仕事から受け継いだものの大きさを考えずにはいられない。しかし、ゴードンが彼らとは異なる視座に立っているのも確かである。たとえば本作は、河原温による《I Met》シリーズを想起させるが、河原の作品のようには「記録」として機能しない。ゴードンは、つねに持続する「現在」という時空間に立っているのではなく、ある瞬間の一点から辿られた「過去」を扱っている。問題となるのは、その「過去」を貯蔵するシステム自体の本質的な機能不全である。ゴードンのリストが 「記録」としての役割を果たすとしても、それは、たえず気紛れに崩壊しつづける不確かなシステムの内部においてのことだ。また、後述するゴードンのメール・アート連作やウォール・ テキスト作品についても、焦点となっているのはいかにその作品の受け手がそこに「意味」 を与えるかという問題であって、河原による《I Got Up...》シリーズの持つ、あくまでテキストの発送者が基準軸でありつづける性質、あるいは、たとえばローレンス・ウィナーのテキスト作品が持つ、ある特定の行為や事物を取り出して言語によって新たな構図を築き上げる手法とは、根本的に異なる基盤から発生している。

 

*3……

“Hello, it's me: Douglas Gordon Interviewed by Thomas Lawson,” in frieze, issue 9, March-April, 1993, p.16.

 

*4……

A Conversation between Douglas Gordon and Ross Sinclair, 1992, as re- printed in "Douglas Gordon," in Guilt by Association, exh.cat., The Irish Museum of Modern Art, Dublin, unpaginated.

 

*5……

群馬県立近代美術館『ヨーロッパからの8人:ダグラス・ゴードン』、1998年、3ページ。 (初出=“Douglas Gordon: Attraction-Repulsion: Interview by Stéphanie Moisdon, "in Blocnotes, no.11, January February, 1996. 訳文=松下由里)。

 

*6……

同上、同ページ。

 

*7……

群馬県立近代美術館、前掲書、20ページ。

(初出=“This is all true, and contradictory, if not hysterical: Interview between Douglas Gordon and Nancy Spector," in Art from the U.K., Kunstverlag Invild Goetz G.m.b.H., 1998. 訳文=松下由里)。

 

*8……

Self-Portrait (Kissing with Scopolamine), 1997.

 

*9……

「カート・コバーン、アンディ・ウォーホル、マイラ・ヒンドリー、マリリン・モンローとしてのセルフ・ポートレイト」1996

 

 

 

Photo Captions……

 

ダグラス・ゴードン

1966年スコットランド、グラスゴー生まれ。1984〜88年グラスゴー美術学校、1988〜90年ロンドン大学スレイド美術学校に学ぶ。1997〜98年ドイツ学術交流会(DAAD)招聘によりベルリン滞在。在グラスゴー/ベルリン。

 

Tatto Ⅱ 1994 

写真(部分)

 

名前のリスト 1990 

サード・アイ・センター、グラスゴーでの展示風景

 

Above All Else[何にもまして] 1991

 

インストラクション No.7  1994 部分

 

インストラクション No.2 1992 部分

 

ペンタトール=ナトリウム入りのキス 1993-94 部分

 

I cannot remember anything.[私は何も思い出せない] 1993

 

私の口とあなたの耳の間の何か 1994

24時間サイコ 1993

映画、そして観客がスクリーンに対して持つ〈暴力的〉な関係性とそこに潜む欲望について、ゴードンは以下のように語っている。

「映画は、より高尚な伝統を持つとされるメディアと較べれば、いまだ新しいメディアです。しかし私たちの世代にとって、それはすでに死んだものです。私たちはビデオ・レコーダーとともに成長した。おそらく、事はそれぐらい単純な話なのでしょう。私たちは映画に対する安価なアクセスを持っていたし、それをまったく滅茶苦茶にしてしまうためのテクノロジカルな手段を持っていた」

「サディズムは、私には、観客とスクリーンのあいだの美しい、そして熱烈な関係における論理的な進展と思えます。それは窃視的な段階のつぎに来るものです。(中略)サディズムは、VCRとリモート・コントロールとビデオカメラとともに成長し、また、私たちの世代には可能なものです (おそらく避けがたく)。」

なお、既存の映画を流用して操作したという側面に焦点を当て, ゴードンの《24時間サイコ》を映像史の文脈(ヴェルトフの『キノ・アイ・ マニフェスト』に始まり、ジョゼフ・コーネルの『Rose Hobart』(1937)、1960年代前半のウォーホルによるフィルム連作、60年代末のケン・ジェイコブスによるアナリティカル・プロジェクターを使用した実験映像、 1970〜80年代のゴダールの仕事まで)に位置づけた論考としては、エイミー・トアービンによる以下の優れた仕事がすでに発表されているので、関心のある方はそちらを参照してほしい。

"Douglas Gordon," in Spellbound: Art and Film, exh.cat., Hayward Gallery, London, 1996.

 

引き金にかかった指 1994

 

ヒステリカル 1995

 

10ms -1 1994

 

リモート・ヴューイング 13.05.94(ホラー・ムーヴィー) 1995

 

3インチ(黒) 1997

本作でゴードンは、ある男の同意のもとに、男の左手の人差し指の先端からちょうど3インチ下方までの部分の皮膚全体に、真っ黒い刺青を施した。ゴードンの住むスコットランドの刑法によると、3インチ以上の長さを持つ刃物を公的な場で携帯することは違法であり、携帯者は物品の押収や逮捕といった刑罰が、法の正義のもとに我が身に対して下されうることを覚悟しなければならない。「3インチ」というあるひとつの正当化された単位を境に区切られる手前と向こう、ふたつの側に、傷害/殺傷行為に結び付く危険性の有無が推し分けられる。黒々と光る一本の細長い指はもちろん刃物ではないが、実際、一種異様な凶々しさを放っている。誰しも潜在的に持っているであろう〈暴力性〉は、極端なまでに可視化され、消えることのない刻印でありつづける。

 

正当化された罪人の告白 1996

本作のタイトルは、ジェームズ・ホッグによって書かれ1824年に出版されたスコティッシュ・ゴシッ ク・スリラー文学の古典『The Private Memoirs and Confessions of a Justified Sinner』から取られている。以下、ゴードン自身がこの参照元について語った言葉を引用しておく。

「驚異的な物語なんだ。信じられないよ! 悪魔と出くわすあるスコットランドの若者についての話だ。悪魔は彼に、彼の兄弟を殺すように挑みかかる。最終的には若者は気が狂ってしまって、読者には、悪魔が彼の想像の中に存在していたのか、それとも現実に存在したのか、わ からない。彼は自ら命を絶つその少し前にこの回想録を執筆した。原稿は彼とともに、どこか街からうんと離れたところに埋められた。この話のことを聞いたある出版者が、 墓を掘り起こして原稿を盗んだ。誰もが「有罪」で、皆、なにかしら誤ったことをしている! 秋になったら、僕はこれについてのシナリオを書こうと思っている。アクションを、19世紀から20世紀のアメリカ中西部に移して。」

"Oscar van den Boogard Talks with Douglas Gordon, Amsterdam, January 16, 1997," in Sculpture. Projects in Münster 1997, exh. cat. (English version), Westfälisches Landesmuseum, 1997, p.178.

 

ペインティング No.37:アンディ・ウォーホル(シリーズ) 1993

Courtesy of © Kohji Ogura Gallery, Nagoya.



写真提供=「3インチ(黒)」「ペインティング No.37:アンディ・ウォーホル (シリーズ)」以 外はすべて Courtesy of © LISSON GALLERY, London.

 

初出=『武蔵野美術』No. 111、1999年冬号、1999、武蔵野美術大学出版局:東京
bottom of page