ヘンリー・ダーガー
——『非現実の王国で』の世界を巡る
Henry Darger 1892-1973: The Cather in the Killing Field?
無垢なる少女たちが大人たちの悪に抗い戦う
15000頁の大長編小説「非現実の王国で」。
60余年間、誰ひとり知る者なく制作され、
死の寸前に偶然発見された驚異の作品群とは?
ストーリー解説と大作挿絵で徹底解析。
天涯孤独、養護施設育ちの雑役夫……
伝説化する生涯と創作の謎に迫る。
〈子供奴隷制解放〉を目指して
純真可憐な少女たちの壮大な戦いが始まる。
主人公 ヴィヴィアン・ガールズの冒険
タイプライターで清書された1万5000ページの原稿と数百枚の挿絵からなる超大作『非現実の王国で』。それは、ヘンリー・ダーガーというひとりの人間が、半世紀以上もの長い年月にわたり、自らの生命力を注ぎ込んでつくりあげた一大戦争叙事詩の世界だ。
物語の主人公は7人姉妹のプリンセス 「ヴィヴィアン・ガールズ」。子供を奴隷にして虐待する邪悪な大人の男たち「グランデリニアン」から子供たちを解放しようと、キリスト教徒軍とともに 勇猛果敢に戦う。純情可憐で美しく、驚くべき善良さと才覚を併せ持つ「小さな聖人たち」だ。 ある時はスパイ、ある時は射撃手となって大活躍し、超人的な機知と恩寵で戦線を勝利へと導く〈恐るべき子供たち〉——彼女たちは永遠に5歳から7歳のまま、決して年を取ることはない。
「美しく、気高く、ほのかで清純な、ちょっとおびえた表情、しかしもっと愛らしく、神聖で、威厳に満ちた存在感ある、彼女たちの表情さえ絵にすることができれば」——。物語に登場するお絵描き少年ペンロードは、姉妹の姿を描こうと奮闘してこんな言葉を漏らす。ダーガーの心のつぶやきのようにも響かないか?
……ダーガーは言った。「私がこれからする質問に答えなさい。どれぐらいの間、敵をスパイしたいのかね、どうしてスパイをしたいのかね、冒険の楽しみかね、それとも何かわくわくするものを求めてかね、それとも復讐計画かね」。
「冒険の楽しみと興奮よ、そして復讐でもあるわ」。ヴァイオレットが言った。「私たちの小さなお友達、アニー・アーロンバーグはフェデラル知事に殺されたの、私たち、グランデリニアンたちに思い知らせてやりたいのよ、奴らは間違った相手を苛めているって」。
ジェミニ隊の隊長の、頭巾で隠れた顔に乾いた笑みが広がった。「私のことは知らないと思うが」。
「知ってるわ。あなたは以前、ある任務について、アビアニアの私たちの家に来て、私たちを助けてくれた。あなたはヘンリー・ダーガー、カトリック軍のジェミニ・スパイ隊の優秀な人物だわ」。
「そのとおりだ、お嬢さん」。将軍は答えた。「君たちの動機は三つ、だな。グランデリニアンをスパイすることがどんなに危険か、覚悟しているのかね、奴らのスパイへの怒りときたら、もしスパイの現場を押さえられたら、地獄の悪魔でさえ震えあがるだろう」。
「ええ、わかってる」。ヴァイオレットが答えた。「私たち、こわくないし、奴らを許したりもしない」。
――『非現実の王国で』より
(ジョン・マグレガー[著]・小出由紀子[訳]『ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で』[作品社刊]所収のテキスト選より抜粋、幼い子供たちの保護を使命とするキリスト教組織「ジェミニ隊」の隊長として登場するダーガーが、ハンソン将軍の前でヴィヴィアン・ガールズのスパイとしての能力をテストする場面の描写)



『王国』の命運——物語の舞台と展開
『非現実の王国で』という呼び名は、じつはダーガー自身が付けた物語の略称だ。正式タイトルは『非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子供奴隷の反乱に起因するグランデコ—アンジェリニアン戦争の嵐の物語』。全15巻にわたって繰り広げられるストーリーの核となるのは、まさにこの標題にあるとおり、ずばり「戦争の嵐」である。
小説は「スリル溢れる物語の著者、ヘンリーダーガー」による序章で幕を開ける。舞台とな
るのは、「知られざる国々……あるいは私たちの地球が彼らの月であり、地球より数千倍も巨大な架空の惑星にある世界」だ (そして、冒頭で「空想の物語」だと明言されているとおり、その世界へは、想像力によって自在に、シカゴから汽車や舟を乗り継ぎ辿り着くことができるのだ!)。
そこでは、カトリックの王国群 (アビアニア、 アンジェリニア、アビシンキル、プロテステンシア...etc.)と、サタンを信奉し〈子供奴隷制〉の悪を行使する国家グランデリニアが対立している。物語が描く時代設定は、ダーガーが執筆を始めた時期と同時代の1910年から1917年頃。過去の歴史において、カトリックたちは子供解放を目指し、聖戦に挑みつづけてきた。しかし、度重なる戦争に荒廃したカルヴァリニア独立区では、グランデリニアの支配は今なお続き、子供たちは親元から引き離され、ダーガーが好んだというディケンズの小説さながら、工場での過酷な労働を強いられたり、「恐怖の牢獄」に監禁されて虐待されたりしている。そして今、グランデリニア打倒の新たなる戦いが始まり——壮絶な戦いと敗北、文字どおり無数の命の犠牲を経て——勝利の栄光を収めるまでが綴られる。
……さて、物語の詳細な展開や登場人物たち、描き出される テーマについては、後出の入門テキストでたっぷり読 んでいただきたいが、『王国』のひとつの大きな特徴として言え ることには、どうやらこれは、通常の意味での物語や小説とはなにか別の時空で展開している止め処もない世界らしい、ということだ。誘拐され殺された実在の少女の写真を現実世界のダーガーが紛失したことに起因して、作中の国々の命運が重大な影響を受けることもある。リア リティーとフィクションが織り混ざって、底無しの異空間が無限に膨張していく。
15000ページを読破した者は未だほぼ皆無といわれているが、ダーガー論を上梓した研究 者たちによると、全体をつなぐプロットはほとんどなく、ひたすら、冒険と戦いと大動乱の連続と、幕間のように差し挟まれたユーモラスなエピソードの数々から成り立っているらしい。「『不思議の国のアリス」と『旧約聖書』の出会い」(マイケル・ボーンスティール) と喩えられたその世界が奏でる不思議な多重演奏の魅力は、瑞々しく柔らかな色彩で彩られパノラミックに広がるコラージュ・ドローイングの数々にも、見出すことができるだろう。

〈大人・男・悪〉が行使する
暴力の臨界点
「私は十字架に抗う真の敵か?
それとも悔悛する聖人だろうか ?」
——1968年4月16日の日記より
「両陣営の何百万という男たちが悪魔のようにわめきあっていた、互いに殴りかかり、まっこうから撃ちあい、切りつけ、たたきつけ、めった切りにし、突き刺し、肉市場で家畜の屠殺に耽る野蛮人のように切り刻みあう、そのまっただなか、銃剣の筆舌に尽くし難い金属音が喧騒に重なり、アンジェリニア軍は猛火の中、浮き足だっていた、よろめき、隊列を崩して敗走しながら、しかし不屈の闘志でふたたび結集すると、何百もの人間の波となり、炎と煙が渦巻く恐ろしい地獄へとふたたび突入した、[グランデリニア軍の]灰色の隊列が1兆ものキャノン砲を発砲したかのごとく怒号し、地獄のように激昂すると、アンジェリニア軍はふたたび浮き足だち、押し返された、しかしふたたび盛り返して、要塞の第一ラインをよじ登ったものの、何十万ものおびただしい数の兵士が倒れただけだった、四度目も、彼らは打ちのめされて後退、ふたたび攻撃をしかけると、要塞の第一ラインに到達したが、目の前に待っていたのは狂暴なキャニスター銃と砲弾だった、傷を負ってよろめく血まみれの歩兵は、吹き寄せられた落葉のように積み重なった死体の山を残して後退、それでもふたたび 前進し、つむじ風のように攻撃をしかけるが、キャニスターとマスケットの銃撃の嵐がアンジェリニア軍の人の波をちぢませた、しかしついに六度目、周囲100フィートを一掃して第二胸壁まで攻め込んだ、大砲と小銃の轟音が天国も地獄も肝をつぶすほどに轟くなか、燃えさかる肉と鉄の旋風と化して、死者や瀕死の兵の身体に降り注いだ。
1000万もの兵が出撃したが、戦闘が終わったとき、戻ってきたのはわずか200万人弱だった……戦闘の騒音の中、うなりをあげて炸裂する砲弾や小銃の衝撃音よりも鋭く響いたのは、無数の銃弾を撃ち込まれた兵士たちの死の嘆きだった、何十万人もの瀕死の殉死者たちの悲鳴とうめき、何百万人もの傷ついたキリスト教徒のうめき、傷ついて死にかけているグランデリニアンの呪いとののしり、悶絶する絶望の泣き声、死のすすり泣きがいたるところで聞かれた、戦闘が中断すると、何千もの負傷者が這い回っていた、血で目が見えなくなった者、痛みのあまり発狂した者が、撃たれて粉々になった身体や、飛び出した内臓、腕や足、頭のかけらや、打ち抜かれた腹壁の間を這い回っていた。こんな凄惨な光景がヴィヴィアン・ガールズを恐怖におののかせた……」
——「非現実の王国で』より
(ジョン・マグレガー[著]・小出由紀子[訳]『ヘンリーダーガー 非現実の王国で』[作品社刊]所収のダーガーのテキスト選より抜粋、戦争に突入した世界の描写)
「たくさんの哀れな子供たちが沈み、たたき切られ、ひとりまたひとり死の叫びとともに沈んでいった、すぐに死体の山が築かれ、街路は血で赤く染まった。凶悪なグランデリニアンたちの雄叫びはすさまじく、彼らの顔は汗と血にまみれ、女たちの哀願や子供の泣き声が鋭くなる。『お慈悲を、どうぞお助けを』。しかし、情容赦はなかった。」
——「非現実の王国で』より
(ジョン・マグレガー[著]・小出由紀子[訳]『ヘンリーダーガー 非現実の王国で』[作品社刊]所収)


非情な〈神〉と揺れ動く〈世界〉
ダーガーが亡くなる前年まで40年余りの歳月を過ごした部屋には、彼が愛した少女たちの イメージと神や聖人のイコンが溢れていた。まるで家族の肖像のように大切に飾られ、神父以外には訪れる人もない彼の孤独を見守り、その閉じられた世界を照らしていた。毎日教会のミサに参列し、神を信じ敬い、 純真無垢なる子供たちを深く慈しみながら、なぜ彼は、子供たちが残忍な暴力の犠牲となって真っ赤な血に染まり、かくも凄絶な死に至る戦いを描きつづけたのだろうか? 物語が進むにつれ、『王国』の戦いは激しさを増し、キリスト教徒たちが勝利する日など永遠に訪れないかのような悲惨な光景が、幾度となく描き出される。
愛と憎しみ、善と悪の拮抗する世界。対立が極限的なほど、葛藤は大きい。つまりは「王国」は、とても「人間的」なドラマなのかもしれない。
このアンビバレントな二面性は、作中に登場する数十人ものダーガーの分身たちにも見て取ることができる。ある時はキリスト教国連合軍のキャプテンとして、またある時はグランデリニアンの将軍ジューダス (ユダ) ダーガーとして。 戦況を読者に報告する記者としても現れる。「まるで同じ見かけと名前」を持つ善と悪、ふたりのダーガーに注意しないと、とヴィヴィアン姉妹の会話に登場したりもする。
そして、「王国」の運命を左右するのは、人の心の中の善悪だけではない。自然の気まぐれ、 猛威をふるう台風や洪水や森林火災が、善人も悪人も呑み込んで国々を脅かす。ここで、ダーガー研究の第一人者ジョン・M・マグレガーがダーガーの真骨頂を評した名文を紹介しよう。
「「王国」を通して、ダーガーは混沌の世界を描き、文明が崩壊する過程を描いている。戦争、奴隷制、道徳の瓦解は、さらに大きな解体の一部にすぎない。世界崩壊の妄想に囚われながら、彼はどうにか際 (きわ)に生きていた。多分自分自身をも含む、人間の中にひそむ悪の限りない可能性に苦しみながら、幼子のように神への信仰にすがりついていた。雲の中から神が現れ、秩序を回復し、正義をもたらしてくれることを願いながら。しかし神が何もしてくれないことを知り、ヘンリーは狼狽した。このことが「王国」の探検を促した」。
——「非現実の考古学:ヘンリー・ダーガーの世界」
『ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で』所収、小出由紀子訳、作品社刊

無垢なる子供、
あるいはファンタジーの怪物?
「君は信じるだろうか、
たいていの子供たちとは違い、私は
大人になる日をけっして迎えたくなかった。
大人になりたいと思ったことは一度もない。
いつも年若いままでいたかった。
いまや私は成人し、年老いた脚の悪い男だ、
忌々しくも」。
——『私の人生の歴史』 より
イノセンスと性
ダーガー作品のアンビバレンス (両義性)。それは、彼の飽くなき憧憬の対象であった子供たちの姿の中にも発見することができる。なぜ、女の子たちの体にペニスがくっついているのか? 「他者との交流を極度に遮断していたせいで、ダーガーは、女性器が男性器とは違うことを生涯知らなかったのではないか」「少女たちが戦士であることを証すシンボルだ」 etc...、長年さまざまに解釈されてきたが、どうもしっくり納得がいかない。
性的な曖昧さは、物語のエピソードの中にも現れる。ヴィヴィアン・ガールズはしばしば少 年に変装し、ボーイスカウトの男の子がじつは女の子だったという真実が突如暴かれたりもする。不思議な混乱。ダーガー亡き後、謎は永遠に謎のままだ。
しかし、『王国』に登場する子供たちは、セックスを除いても、そもそもが特異な二面性を持つ存在だ。この世のものとは思えない愛らしさや清らかさを湛えながら、老練の策士の手だてで敵を打ち負かし、無力な子供奴隷を救済する強靭さも併せ持つ。傷つきやすい思春期の感受性を匂わせる子もいれば、自己完結した万能性を持つ異形のもの、ちょっと怪物めいた子も登場する。『王国』の世界とは、そんな色とりどりの〈子供の領分〉だ。


永遠のパラダイスを求めて
「私はアーティストだ、長年そうだった、そしていまや
(痛めた)膝のせいで、長い絵の上に描くために両脚で立つこともとても難しい。
それでも私は挑み、痛みがやってくると座り、また挑む」。
——『私の人生の歴史』より
楽園はついに訪れるのか?——1
たとえ悪魔の使徒たちが暴力と血で脅かそうとも、『王国』の世界、その美しさのすべてを損なうことはできない。 凄惨な戦いの中でも、子供たちは雄大な自然の中に憩い、 サディスティックな殺戮の惨禍の果てに美しい楽園が訪れることを信じて、戦いつづける。
楽園、善良な人々と子供たちが夢に見るそれは、どんな世界なのだろうか?
ダーガー作品の中でもひときわ大きな作品の数々は、緑豊かで色鮮やかな花々が咲き誇る平和な光景を描いたものだ。この種の作品群は、1940年代後半から60年代にかけて制作され、 戦争終結後、あるいはその間際に近づいた世界を描こうとしたものではないかと考えられている。物語に対応する特定のシーンの描写ではないものも多い。まるで新種の生き物のように巨大で生命力溢れる花々の中で、幸福の光が子供たちを包み込む。
そこには、子供たちを守護する不思議な生き物「ブレンギグロメニアン・サーペンツ」、通称「ブレンゲン」も大勢登場する。かつてはドラゴンのような体躯に爬虫類や犬や猫、時に人間の子供の顔と腕がついていたが、 今では少女の身体と蝶の華麗な羽、白い角を持った妖精のような生き物として現れ、子供たちと戯れている。
けれども、この美しい世界もまた、凄惨な戦いの世界とまったく無縁というわけではなさそ
うだ。 例えば、そこには、幼い子供たちの首を絞める兵士を象った奇妙な台座付き彫刻がたびたび登場する。中に籠められた爆薬が時に爆発して、子供たちを脅かすところを見ると、グランデリニアンの建てた記念碑らしい。楽園もまた、戦場と隣り合わせにあるのかもしれない。




All Art Works © Estate of Henry Darger
楽園はついに訪れるのか?——2
最後に、ヴィヴィアン・ガールズが見た「長く美しい夢」を綴ったテキストから引いておこう。天界を訪れ、「 神様のお母様に抱きしめてもらう」夢。目を覚ました少女たちは、現実に戻り苦い幻滅を噛みしめるが、夢であればこそ、真の楽園の輝きは、とわに失われることはない。
「…… 空中を進んで行くと、可愛らしい子供たちがまわりに集まってきて、聖なるハミングを歌い、やわらかなそよ風が口づけしてくれた。そしてついに見たこともないような美しい場所に到着した、そこには本物の真珠と純金でできた建物が建ち並んでいた……。
朝が来たとき、子供たちは、こんなにぐっすりと眠り、幸せに感じたことはないと思った。 空気はほんとうの天国のように新鮮で、あたりには100万兆もの花々の香りがただよい、 天界の子供たちは花が好きなことを知った。朝食の後、ひとりが言った。「みなさん、天界の国の人々があなたがたに会いに来ます、みんな、あなたがたを愛しく思っているのです。 そろそろ到着する頃ですから、行って待ちましょう」「花の乗物がふたたび引き出され、子供たちは乗り込んだ、そしてすぐにあらゆる種類の美しい花々が咲き乱れるすばらしい場所に到着した、目がさめるような緑の芝生と立派な木立、空気は澄んでいて甘かった。 太陽はなかったが、くらくらするほどの明るい光に満ち、明るさのあまり目が見えなくなりそうなほど、そして何百万もの神々しい色が乱舞していた」。
——「非現実の王国で』より
(ジョン・マグレガー[著]・小出由紀子[訳]『ヘンリーダーガー 非現実の王国で』[作品社刊]所収)
初出=『美術手帖/BT』2007年5月号、美術出版社:東京