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1990s YBA (Young British Artists) をめぐる9つのエッセイの楽しみ方——YBAの想い出その1

  • 執筆者の写真: EK
    EK
  • 2022年12月14日
  • 読了時間: 5分

更新日:2022年12月16日



2022/12/14





1990年代の「YBA(ヤング・ブリティッシュ・アーティスツ」について、当時書いた記事、全部で9本を、このウェブサイトの「批評」欄にリリースし終えた。すべて、まだ20代の頃に書いたものだ。四半世紀ぶりに読み返したものも多く、なかには書いたことすらすっかり忘れていたものもあったり、古本屋から雑誌を買い直してスキャンしたものもあった。


1993年から97年まで、足かけ5年にわたり、月日の大半をロンドンで過ごした。そう思うと、わずか9本しかテキストを書き残さなかったのは、ずいぶんともったいないことをしたなぁ、という気もする。とはいえ、当時は、とにかく生きること自体に必死で、とくに前半は、大学院の課題で論文を書くので精一杯だったから、まあ、こんなものかな、とも思う。こうしてまとめてみると、『STUDIO VOICE』や『美術手帖』にせよ『武蔵野美術』や飯田高誉さんキュレーションのカタログにせよ、どの寄稿先にも、まったく、書きたい放題に書かせていただいて、編集者のみなさんの懐の深さに甘えさせていただいていたことをあらためて感じ、心から感謝の念がしみじみわいてくる。


(ちょっと話がずれるが、ライターとして初めて書いた記事は、フェリックス・ゴンザレス=トレスの追悼記事だった。これは、96年の5月に、いったんロンドン生活を引き上げ、コペンハーゲンとスウェーデンのマルメに数日ストップオーバーで滞在・経由し、日本に帰ってくる飛行機の中で、日本語で一気に書いたのをよく憶えている。そのすぐあとに書いたのは、『frieze』のための最初の一本、『Shutter and Love』の書評だった。幸運にも、書き始めてすぐに、お仕事させていただく媒体とのおつきあいに多数恵まれ、発表し始めたものだった。)


93年の初夏にロンドン生活を始めてすぐに、その後、「YBA」と総称されることになるアーティストたちの作品をたくさん見始めた。「YBA」自体の想い出を書き出すと、連載物になってしまうくらいに溢れ出てきてしまうので、後日に譲り、ここではあまり触れないようにしておくが、93年の当時、すでに、デミアン・ハーストやギャリー・ヒューム、ピーター・ドイグ、レイチェル・ホワイトリード、セアラ・ルーカスといった「YBA第1世代」の作家たちは、相当に国民的に認知されたスターたちになっていた。とくに、ハーストについては、88年の「フリーズ(凍結 Freeze)」展に実際に足を運んで目撃した人の数は相当少なかったはずだが、その後、90年からのイースト・エンドの廃墟となったチョコレート工場跡地「ビルディング・ワン」での「ギャンブラー」展や「近代医学(モダン・メディスン)」展でじわじわと注目を集め出し、そして、1991年にロンドン中心部のピカデリー・サーカス至近の会場に初めて乗り出し、「愛の内と外 In and Out of Love」展を披露したときが、いわば、スターダムにのしあがった決定打となったのではないかと思う。生きた蝶をギャラリー空間に放ち、砂糖でコーティングしたカラフルなキャンバスに、その蝶たちが誘い込まれて貼りついて死んでいくことでできあがる「バタフライ・ペインティング」シリーズ、巨大なガラスケースの内部をふたつに区切り、片方では、牛の死骸の頭を床に置き、生きたハエを無数に放ち、それらが牛の頭にたかるさまを見せ、もう片方では、ハエたちが青白く輝く殺虫灯に触れて死んでいくさまを展示したインスタレーションなどが発表された。ちょうどこの個展に合わせて、『frieze』誌はパイロット・イッシュー(創刊準備号)を刊行し、表紙とインタビューでハーストを大々的にフィーチャーしたわけだ。


他方で、後続の「YBA第2世代」の作家たちについては、デビュー当初から見ることができた作家も多い。トレイシー・エミン、ジェーン&ルイーズ・ウィルソン、クリス・オフィリ、スティーヴ・マックイーン、ジャキ・アーヴィン、タシタ・ディーン、シヴォーン・ハパスカ(、そして「YBA」ではないが、ロンドンを拠点にしていたウォルフガング・ティルマンス)などは、初個展のときに、すでに背筋が震えて、「このアーティストは大物になる」と直感的に確信できたのをよく憶えている。


とにかく、なにか、とてつもなく大きな、「新しい時代」の波が押し寄せてくる、そのさなかにいるのだ、という意識は、当初からすでにあり、それはどんどんとより大きな「時代の空気」になっていった。そんな「YBA創世記」の第1章の終わりを強く感じた瞬間は、97年の「センセーション」展のロンドンでの開催だった。「歴史は、美術史は、けっきょく、こういうふうに生まれ、恣意的に拾い出されて語られ、普及して印象づけられ、つくられていくのか」という、一種の、「しょせん”やった者勝ち”なだけじゃないか」という落胆にも近い苦い気持ち、ひとつの時代の終焉を目撃した感覚が、強くあった。


前置きが長くなったが、そんな5年間の経験から、今回公開した9本の記事は書かれたものだ。


できれば、当時の状況を俯瞰して眺めて知って頂くために、「YBA総括論」の「その1」「その2」「その3」は、ぜひ、ご一読いただきたい。「その1」は、いわば真面目なサーベイ・テキストでキホンのキ。「その2」は、当時の貴重なアーティストやキュレーターの発言引用もふんだんに載せてあるが、社会的なコンテクストについても相当に語っており、とにかく、我ながら、読んでいてオモシロイのでお薦め。「その3」は、私個人が当時ぜひ紹介したかった一部のアーティストに限った「誌上展覧会」のようなものだ。


そのほか、「その4」から「その6」、サイモン・パタソン、スティーヴ・マックイーン、ダグラス・ゴードンについての各作家論は、ご関心があれば、お好きなように読んでみてほしい。


当時の「時代の空気」を感じ取って頂ければ、書き手として、とても嬉しいことである。











私がサラリーマン時代に企画・編集を手がけた特集号『美術手帖/BT』2008年7月号と、書籍『現代アーティスト事典』(2012、美術出版社:東京刊)より


All Art Works © Damien Hirst
















Left…

Tracey Emin, Spending time with you, 2015

Right…

Tracey Emin, You touch my Soul, 2008


© Tracey Emin

Courtesy of Jay Jopling / White Cube, London.








 
 
 

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