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閑話休題……20世紀の後半から21世紀を生きてきて思うこと。

  • 執筆者の写真: EK
    EK
  • 2022年12月18日
  • 読了時間: 3分




2022/12/18





今日は日曜日。


さっき、TwitterとFacebookに、長年、時折ふと思うことを呟いた。



「ハイレッドセンター書いててもマー坊聞いてても思うんだけど、やっぱり20世紀後半の昭和の日本って爆発的なエネルギー💥があった気がする🐤ああいう時代の高揚感は1990年代にもまだたしかにあった🐤でも2001年の9.11以降ずっと逆方向に落下してる気がする🐤日本だけじゃなくて世界が🐤文明が🐤😭🌊🌍」


……もうちょっと正確に言うと、9.11の衝撃はものすごいものではあったけれども、2000年代にはまだ、90年代から生まれて拡がってきた「良い意味での〈小さな物語〉、あるいは、〈私的な地平から、豊穣な想像力を駆使して綴られる、ある意味ひじょうに「壮大」な物語世界〉を語る、新世代の作り手たち——アーティストにせよミュージシャンにせよ小説家にせよ——は、日本を含め、世界各地で多数登場し、活躍していたと思う。

そういう意味で、2000年代にも、時代に対する期待感は、まだたしかに感じられていたし、2010年代以降も、もちろんそれらの作品は、私的・個人主義的な位相では、同時多発的に創造され、そうした作品やそれらが醸し出す時代の空気のなかで、作り手と受け手、同時代を生きる人びとのあいだで、とても大切なものを「交歓」する体験はなされてきたと思う。


それはもちろんそうなのだ。


しかし同時にやはり、日本も世界も、社会的・政治的・歴史的に、よりマクロな視点から眺めると、どうしても、「文明」が零落していくという焦燥感、危機感は、9.11以降、現在まで、つねに不穏な通奏低音のように存在してきたし、むしろその暗さ、重さは、どんどんその闇を深くしてきた気がする。

「なにかがもはや、20世紀とは、決定的に、違ってきてしまったのだ」という意識は、少なからぬ人びとが、今世紀に入って抱き、深めてきたものだと思う。



地球環境の急激な悪化によって、10年後、20年後、30、50、100年後に、地球は、人間は、果たしてどんな世界に住んでいるのか?——わずか10年後の姿すら、肯定的に想像するのが難しい時代。

「稀に見る脳天気な楽観主義者(オプティミスト)」を自認する私ですら、危機感のひとつも抱かないではいられない。そんな今——。



誰でも奈落の底まで気分が落ち込んでも、まったくおかしくない、そんな時代の暗さ。

憂鬱さと懸念に捕らわれると、私は、昨年、母を連れて行った近所の美容院で聞いたラジオ番組のことを思い出すようにしている。

まだ20代になったばかりのひとりの若い青年が、高校生のときには某大学と提携して、「二酸化炭素を有益なエネルギーに転換する装置」を発明・開発したというエピソードだ。

彼の語る未来の姿に見えた、眩しい希望の光——。

そんな光を放つ人びとを、私も応援してサポートしていきたい、と感じた気持ち。

この貴重な経験を、何度も思い返すようにしている。





 
 
 

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