top of page
検索

アーティスト、徳冨満さんの想い出

  • 執筆者の写真: EK
    EK
  • 2022年12月3日
  • 読了時間: 9分

更新日:2023年1月2日




2022/12/03










今日は、ロンドン時代の私のとても大切なお友だちだった、アーティスト、徳ちゃん、こと、徳冨満さんの想い出について、書き留めておきたい。


数日前、愛知県美術館のチーフ・キュレーターの副田一穂さんからご連絡を頂いて、年明けの1月から、愛知県美術館と豊田市美術館で、徳ちゃんの特集展示が開催されることを知った。現在、そのご準備中であり、徳ちゃんの親しい友だちで年上の頼もしい兄貴分だった、アーティストの奈良美智さんが、ロンドン時代の徳ちゃんの作品制作のことは、私がなにか憶えているのではないかと、副田さんにご紹介くださったのだ。

なので、ここ数日間、必死で、当時の想い出をたぐり寄せていた。

そして、先程、お電話で、副田さんと徳ちゃんのお話をし終えたところだ。


徳ちゃんとの最初の出逢いは、1996年の初夏、私がいったんロンドン生活を引き上げて逗子の実家に帰宅した直後、名古屋でのことだった。当時、遠距離恋愛をしていた私の恋人のイギリス人、アート・クリティックでライター、エディターだった人物が彼の友人で、彼を紹介してくれたのだ。会ったのは、コオジオグラ・ギャラリーでだったと思う。そこで彼の作品もいくつか展示中だった記憶がある。徳ちゃんは、数年間の奨学金を得て、たしか秋からロンドンに渡る直前だったと、おぼろに記憶している。彼と親しくなったのは、翌97年の春から12月まで、私がロンドンに戻っていた時期だった。


その数年後の2000年の年末に、彼は、急性白血病と診断され、ロンドンで治療を開始。いっときは好転したのだが、翌2001年4月に帰国し、その半年後の10月に、35歳の若さで、故郷の名古屋で亡くなった。


彼の想い出話は長くなってしまうので、ここでまず、肝心の彼の作品を見て頂きたい。


















『美術手帖/BT』2002年2月号(2001年12月17日発売)より、彼の作品紹介ページ


All Works © Estate of Mitsuru Tokutomi
































2006年に刊行された、彼の作品集『Tokutomi Mitsuru: plus, minus, infinity』より


All Works © Estate of Mitsuru Tokutomi


















彼の作品についての言語化、解釈・分析批評は、上の『美術手帖』の記事内で、ジェイムズ・ロバーツが、短い記事ながらも、ひじょうに的確かつ網羅的に、その魅力の本質をすくいあげて語っているので、ご関心のある方は、ここに載せたページ画像を拡大して、読んでみてほしい。


思えば、この追悼記事が実現したのも、奈良さんからご提案いただいたおかげだった。


当時、私は、この『美術手帖』の編集者としてサラリーマン勤務していたのだが、ちょうど、この日本の若手世代のアーティストを一挙に紹介する特集号の企画とメイン編集を担当していた。その制作中のある日、たしか小山登美夫ギャラリーの小山さんを介して、奈良さんから、徳ちゃんの追悼記事をつくってほしい、書き手はジェームズが最適だと思う、というご連絡を頂いたのだ。編集部のなかには、この特集内で、長い批評つきの長い記事という異例の特別扱いで徳ちゃんを紹介することに対して厳しい声も上がったが、当時の編集長の楠見さんが、もともとオノ・ヨーコさんやハイレッド・センターが大好きな人だったので、徳ちゃんの作品を見て、高く評価する価値があると判断し、特集の作家紹介ページのラストバッターとして、徳ちゃんの記事をつくることにGOサインが出たのだ。

(表紙は、これまで紹介してきたアーティストたちとは違う新世代の象徴として、伊藤存さんで行きたい、トップバッターも伊藤さんというのは、企画を思いついた最初から決めていた。奇しくも、トップとラスト、私にとって特別に思い入れのあるアーティストふたりで始まり、終わる構成になったわけだ)。


ふたつめの作品集のほうは、徳ちゃんのご両親のご希望のもと、インディペンデント・キュレーターでひじょうに優れたアートの書き手でもあった、友人の東谷隆司が制作していたのだが、校了間近の土壇場で、アズマヤに頼み込まれ、彼が徳ちゃんについて書いた大長編のテキストの日本語版と英語版の編集部分だけ、編集を担当した。

(今回見直していて気付いたが、徳ちゃんの略歴の対向ページに、ロンドンのスタジオでの徳ちゃんの写真が掲載されているのだが、あまりに極小サイズすぎて、顔もろくに見えない! 追悼作品集なのだから、作家の顔くらいしっかり見せておけよ、アズマヤ!と、今更ながらムカついた)。


少し話が逸れたが、彼らふたりが指摘したとおり、徳ちゃんの作品には、ひとが、なにか、これまでに見たことがないものを見たとき、あるいは、無限大に拡がる広大な宇宙空間に触れたときに感じるような、とても純粋で無垢な「驚嘆の感覚(センス・オブ・ワンダー)」、その邂逅の一瞬がとらえられている。何万光年という天文学的な気の遠くなるような宇宙空間の距離を、体感可能なメートル法で把握してみたいというような、そんな欲求を作品化したものもある。彼らふたりの書き手がはっきりとは指摘しなかったことで、私自身が強く感じることは、徳ちゃんには、「見えないはずのものがぎりぎりの瀬戸際で見える」ような状態を作品の中に結晶化させたい(本人自身、生前、私にそういうような話を語ってくれた)、「2次元空間でしかないペインティングの中に、〈かつて見たことのない風景〉を出現させたい」というモーチベーションが強くあったのではないか、と感じる。

また、先述のオノ・ヨーコさんによる、白い梯子を登って天井に書かれた小さな文字「YES」を拡大鏡で覗き見る作品や、赤瀬川原平さんのハイレッド・センター時代の作品で、缶詰のラベルをきれいに剥がして缶の内側に貼り直すことで、理論上、缶詰の外に拡がる広大な空間をパッケージして封じ込んだ《宇宙の缶詰》、後述の彼が気に入っていたふたりのイギリス人アーティスト、ジュリアン・オピーとシヴォーン・ハパスカなど、徳ちゃんの作品とどこか似通った関心事を共有する作家のアートワークのことも、徳ちゃんの作品を見ていると、思い起こす。





徳ちゃんは、いつもとても優しくて、柔らかで、笑顔が似合い、親しみやすいひとだった。どこか抱きしめたくなるようなかわいらしさのあるひとだった。じっさい、女の子にはとてももてた。それは、マッチョな男っぽさを誇張するような男性とは真逆で、つねに繊細な感受性と心遣いのあるひとだったせいが大きい気がする。相手をありのまま受け入れるような、そんな居心地の良い感じだった。

一緒に過ごせた時間は短かったけれど、ほんとうに心を許せる、大切な大切な友だちだった。

私たちは、ふたりとも、まだ、とても若かったので、恋愛のこと、これからどうやって

生活と制作を両立させていったらよいのか、どんな作品/仕事をてがけていきたいのか、そんな自分たちの悩み事でアタマがいっぱいで、とくに小難しいアートの話などはめったにせず、ごくふつうの、そんな誰もが友だちとするような会話をよくしていたような気がする。

私が日本に戻ったあとは、たしか、「日本の音楽が聴きたい」と言われて、くるりとかを送った記憶がある。あの頃、私はACOにはまっていたので、それも送ったかもしれない。

今でも忘れられないのは、徳ちゃんがロンドンから日本の私に書いて送ってくれた手紙。「絵里ちゃんには、どこか綺麗な意地みたいなものがあって、ぼくはそれがとても好きだ」というような言葉をくれた。自分のすべき仕事をすることと、遠距離恋愛とのあいだで、疲弊していつも暗中模索していた当時の自分には、その言葉は最大の応援歌で、心底感謝したのをよく憶えている。


徳ちゃんの病気のことは、たしか、2001年に入ってから、当時の私の恋人から電話で聞いた。でも、治療を進めれば希望がある、というふうに聞いていたので、私は、のんきにも、まさか死の可能性が濃くある病気だとはわかっていなかった。

入院中のベッドで徳ちゃんを慰めてほしいという思いから、手足がとても長い、かなり細長くて大きいおサルのぬいぐるみを、東京のBEAMSで買って送った。

名古屋の病床から一度、電話をくれたとき、徳ちゃんは、そのおサルさんのことをとても喜んでくれていて、嬉しくなった。

その数か月後、次に徳ちゃんの連絡を受けたときは、亡くなったという知らせだった。

私は、途方もなくバカだった。「そんな話は聞いてないよ!」と憤った。事の深刻さをそれまでまったくわかっていなかった。自分の愚かさを呪った。お葬式に行くくらいなら、生きてるあいだに抱きしめて慰めてあげたかった。ふたりとも、きっと、大泣きしてしまっただろうけれども。


人生は、なんと野蛮で理不尽なのか。こんな暴力的なことはあってはならないと、神様なのか運命なのか、何を相手にしてだか自分でもわからないが、怒りが収まらなかった。なぜあんな良い人間が、そんなに若くして亡くならなければならないのか。良いひとほど、早く逝ってしまう。良い人間だからこそ、急いで転生させなければならない理由が天にあるんだ、かならず次の生(せい)があるんだ、と、ただ自分を慰めるためだけに、無理矢理言い聞かせた。アズマヤが40代で逝ったときも、編集部でいつも私のほんとうにたいへんなときを力強く支えてくれていた同僚の斉藤哲郎が30代後半でガンで逝ったときも、強くそう感じたが、徳ちゃんのときほど、自分の愚かさを悔やんだことはない。今でも思い出すのがつらい。思い出せば泣いてしまう。





最後に、今日、副田さんにお話しした、ロンドン時代の徳ちゃんが気に入っていたアーティストふたりの作品画像と、年明けの展覧会を前に、アーティストの奈良美智さん、福井篤さん、浅野達彦さんら、徳ちゃんの4人の旧友たちが徳ちゃんについて語った座談会ウェブサイト記事へのリンク、および展覧会の開催データとそのリンクを、以下に載せておく。


お近くの方は、ぜひ、足を運んでみていただきたい。








ジュリアン・オピー

1993年ロンドンのヘイワード・ギャラリーでの回顧展カタログの表紙


© Julian Opie











シヴォーン・ハパスカ

1999年、東京・有楽町フォーラムにて開催された「NICAF」内での個展カタログ

企画・主催=財団法人 セゾン現代美術館、セゾンアートプログラム



All Works © Siobhan Hapaska







愛知県芸術センター

情報誌 AAC ウェブ


来春に特集展示を控えた故・徳冨満とはいかなる作家だったのか








愛知県美術館・豊田市美術館

同時期開催コレクション展

徳冨満──テーブルの上の宇宙

Tokutomi Mitsuru: Universe on the Table



愛知県美術館

[会期]

2023年1月14日(土)〜3月14日(火) ※豊田市美術館は2023年2月25日(土)〜5月21日(日)

[会場]

愛知県美術館 前室2、展示室7(愛知芸術文化センター10階)

[開館時間]

10:00~18:00 金曜日は20:00まで(入館は閉館の30分前まで)

[休館日]

1月16日(月)、2月6日(月)、2月20日(月)、3月6日(月)

[観覧料]

一般 500(400)円 高校・大学生 300(240)円 中学生以下無料 ※( )内は20名以上の団体料金

[主催等]

[主催] 愛知県美術館、豊田市美術館





豊田市美術館


2023.02.25-2023.05.21


開館時間10:00-17:30(入場は17:00まで)

休館日=月曜

月曜日(5月1日は開館)


https://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/%E5%BE%B3%E5%86%A8%E6%BA%80%E2%94%80%E2%94%80%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB%E3%81%AE%E4%B8%8A%E3%81%AE%E5%AE%87%E5%AE%99/









 
 
 

Comments


bottom of page